馬鹿野郎!耳出してやれよ!クーロ・ディアス、場内1周。

2004年5月31日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 晴れで風の吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、セレスティーノ・クアドリ牧場。ソブレロ、ロサノ・エルマノス牧場。闘牛士、エル・カリファ、ダビラ・ミウラ、クーロ・ディアス。ノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5アルトにてTさんとYさんと一緒に観戦す。

 エル・カリファは、牛が悪かった。それでもちゃんとした闘牛をしていた。クルサードは角2本していたし、牛を誘うときはムレタの面で誘ってパセをしていた。牛が悪いから良いパセが出てこないし、動かない。でも、カリファは良い闘牛をやっていた。正確な闘牛。本当の闘牛をしようとしていた。こういう牛からはちゃんとしたことをやっても所詮無理だった。1頭目の牛はそうだったし、4頭目の牛は悪く交換になり、代わった牛は、ブスカンドばかり、角が体に向かって真っ直ぐ来る牛だった。これじゃ出来ない。残念なことだが今日は良い結果を出すことは出来なかった。しかし、彼がやった闘牛のやり方は正しいものだったし、素晴らしい誘い方だった。

 ダビラ・ミウラは、セビージャの闘牛士。ダメなのは始めから判っていた。カポーテではクルサードしてパセを繋ぐ、でも、ムレタではクルサードなんてまずしない。パセの始まりは全てピコ。3回目くらいになってようやく面でパセをする。でも、体の遠くを通すパセばかり。だから口笛を吹かれるのよ。アンダルシアで闘牛やっているんじゃない。ここはラス・ベンタス。しかも、サン・イシドロだ。こんな闘牛じゃカスの闘牛士だ。セビージャは闘牛士を甘くする。ちゃんとした闘牛、良い闘牛というものがどういうものか彼は知らない。それと普段大きな牛を相手にしているせいか、パセを通すときにあまりにも体から遠いところを通しすぎる。

 まるで、ばーやに、「おぼちゃま、クルサードしちゃ危ないからいけません」 「おぼちゃま、牛は体から遠くを通さないといけませんことよ」 「おぼちゃま、闘牛はいつも安全にしなくてはいけません」 と言われているような闘牛だ。良いとこの、ボンボン闘牛士は命など懸けて闘牛など出来ません。リベラ・オルドニェスと一緒。お金あるから僕、闘牛やらなくても平気だもんね」ってか。くだらねぇ奴だよなお前は!セビージャの闘牛士は、モランテ以外全てカスだ。

 クーロ・ディアスには正直驚いた。3頭目の牛は角が上も向いて尖っていた。頭は高くやりにくそうな牛に見えた。実際、カポーテでは足を止めたベロニカは出来なかった。ピカは左後ろに入った。次が左前に入った。3度目は、左中に入った。牛を呼んで刺したので、拍手が沸いた。カポーテで良いパセが出来なかったので難しい牛だと思っていた。牛は、死んだ闘牛士、ビクトル・ケサダに捧げられた。

 デレチャソの膝を折ったパセから始めた。長いパセが左右に繋がると闘牛場に、「オーレ」がこだました。曲げていた膝を直して立って、足を揃えたデレチャソを繋いだ。「オーレ」の絶叫がこだました。「オーレ」は観客の興奮のバロメーター。興奮が闘牛場で沸騰した。レマテのパセ・デ・ペチョは、落ち着いて誘い、牛を通すと、「オーレ」の絶叫が喝采にかき消され彼がファエナを始めたテンディド3から5の観客は立ち上がって喝采を送った。このファエナの始めの一連のパセは、強いインスピレーションを観客に感じさせるものだった。立ち上がって観客の中には何人も腕を振り上げている人がいたのがそれを物語っている。

 それから一旦距離を取ってデレチャソで牛を呼んでパセを始めリガールして、トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョと続けた。拍手が沸く。また距離を取ってクルサードして牛をデレチャソで呼んだ。4回リガールすると手の低い長いパセが繋がり「オーレ」が繋がった。パセ・デ・ペチョで「オーレ」の声が喝采にかき消されていった。彼は牛を呼ぶときにピコではない。ムレタを完全な面で牛を呼んではいないがほぼ面に近い形で牛を呼んでいた。ここまで出来たら文句はない。マティアス・テヘラの耳2枚のファエナより良いパセを繋いでいた。

 ナトゥラルも、クルサードして手の低い長いパセを繋いで「オーレ」をならせ、トゥリンチェラ2回、体に隠すようなナトゥラルを決め牛も前で立ち止まって拍手を受けた。離れてナトゥラルを繋ぐと2回目に牛が膝を着いた。それからまた手の低い長いナトゥラルを繋ぎゆっくりとしたパセ・デ・ペチョが繋がると「オーレ」の声が大きく響き、トゥリンチェラを決めて牛の前に立ち止まると喝采が鳴った。剣を代えて、アジェダード・ポル・アルトからナトゥラルを繋ぎ体に隠れるように引くナトゥラル、パセ・デ・ペチョでファエナを終えた。後は剣だけだった。スエルテ・ナトゥラルに牛を置いてアトゥラベサーダ(右から左側に斜め)気味に半分ほど剣が刺さった。

 牛の前に立って、剣を抜き取ると牛は膝を着いて座った。闘牛場に白いハンカチが揺れた。早く耳を出すように催促する口笛が吹かれた。だが、プレシデンテは耳を出さなかった。喝采が鳴り、クーロ・ディアスがアレナに出てきて挨拶をした。カジェホンに戻ろうとすると観客が場内1周するように促した。笑顔の場内1周だった。しかし、耳が出ないかったのは非常に残念なことだった。

 最後の牛は非道すぎて闘牛にならなかった。カポーテでも非道かったが、ムレタで膝を折ったパセを何回かすると膝を着いて座ってしまった。3分くらい動かなかった。だから直ぐに殺した。こんな牛を代えることもしないプレシデンテって本当のプレシデンテ?耳は出さないし何処観てるんだか。

 セレスティーノ・クアドリ牧場の牛は、他は非道かったが、2頭目と3頭目に良い牛が出た。ミウラは闘牛のやりやすい牛で良くあそこまで非道い闘牛をするもんだ。呆れてしまう。耳を切れる牛で口笛を吹かれる。たいした闘牛士だ。恐れ入りますよ。カリファなら当然、耳が出ていただろう。3頭目の牛は、グラン・トロだったし、クーロ・ディアスは良い闘牛をした。あそこで耳を出さないプレシデンテはダメだ。ラス・ベンタスは、他の闘牛場で評価されなかった闘牛士を発掘する場所でもある。本物の目を持ったアフィショナード(闘牛ファン)が沢山いるからそれが出来る。彼のファエナは許容範囲だ。

 去年2回しか闘牛をしていなくて、しかも、97年にアルテルナティーバをしてから8年弱でたった20回しか闘牛をしていないのに、あれだけのことが出来るというのは、明らかに良い才能を持っているということだ。だから、あそこで耳を与えて、他の闘牛場への出場機会を増やしてやって、チャンスを与えるべきだったのだ。もう29歳。遅いくらいだが、これから一花咲かせてやりたい闘牛士だ。

 終わった後、Mさんと2人でコロキオをした。Mさんはあれは耳を与えるべきではなかったと言った。理由は、クルサードしていないし、ピコだからと言う。しかし、クルサードしていたし、ピコ気味なパセはあったが、ムレタの面で牛を呼ぼうとしていた。だから、許容範囲だと言った。スポーツや競馬もそうだが出場機会や、騎乗機会が多ければ上手くなるのだ。闘牛も一緒。闘牛をいくら観ても闘牛は上手くはならない。牛と直接相手にしてパセをしなければ覚えれないことだらけだからだ。だから、その機会を提供するためにも、耳をあげるべきだった。

 Mさん曰く、「人生は厳しいからそんな甘いこと言ってちゃダメよ」と。でも、それは、出場機会が、8年弱で20回しかない闘牛士があれだけのことをやったのだからそういう言い方は、おかしいと思う。チャンスのない世界なのだからこそ、あそこで耳を与えてチャンスを与えるべきなのだと僕は思う。そのチャンスを活かせるのか、それともダメにするかは本人の問題。それでダメになるのなら、それはそれで仕方がない。だが仮にチャンスを与えられたら、それだけでも前向きな人生を送れる。それで、ダメになったとしても。

 確かにMさんが言う部分も判らないことはない。ナトゥラルの時、タキージャドールの外側を持ちすぎているためにナトゥラルの時に綺麗にムレタが開かないと言う昨日も指摘した欠点がある。それと牛を誘うときムレタを完全な面にして誘っていない。しかし、だからといって完全なピコではないのだ。Mさんが言うように、良い闘牛を観たいと言うことは判る。本物を観たいというのも判る。しかし、ダメなミウラが年間40回前後出場機会があるのに比べ、あまりにも不公平だ。才能の輝きがあるのだから、せめて30回くらいの出場機会を与えるべきだと僕は思う。クーロ・ディアス、また、ラス・ベンタスへ出てこいよ。来年のサン・イシドロで待ってるぞ。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る   2004年闘牛観戦記