セルヒオ・マルティネス耳1枚。彼は目の前に開いていたプエルタ・グランデを閉じてしまった。

2004年5月30日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 晴れで風の吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、コンデ・デ・ラ・コルテ牧場。ソブレロ、コンデ・デ・ラ・マサ牧場。闘牛士、ソトルコ、サンチェス・バラ、セルヒオ・マルティネス。日曜日でノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5アルトにてYさんと一緒に観戦す。

 切符を忘れたのを取りに行って5分遅刻。闘牛場へ入ったらベロニカを繋ぎピカが入っているところだった。よって、1頭目のソトルコは闘牛場内にあるバルの横のTVの観戦となった。

 ソトルコは何年かぶりのサン・イシドロ登場。今年メキシコからの闘牛士の参加はソトルコだけ。1頭目の牛は非常に危険な牛だった。角が大きく先が尖っている。首を振りながら向かってくるしパセの時に飛ぶ、パセの後の返りも早かった。でもそこは、バリエンテのソトルコ。牛を上手く扱いパセを繋いで観客を沸かせた。簡単そうに見えるが、非常に難しいことだ。経験と牛を知っていることと、勇気が彼の闘牛を支えている。闘牛を見慣れない女性たちは、怖くて何度か悲鳴を上げたことだろう。実際プンタッソでエンフェルメリア(医務室)に行った。

 4頭目は、カポーテの時に逃げ回ってパセをしようとしても突っ込んで来なかった。マンソだがいつ急に動き出すか解らない危ない牛。それでもカポーテを少しずつカポーテを振って牛に動きを教えていったメディア・ベロニカの後、拍手が沸いた。牛の扱い方が上手い。また観客を沸かせた。剣は2回ともカイーダで1回で入った。2頭とも喝采に応えて観客に挨拶をした。

 サンチェス・バラは、アベジャンの一つ下でマドリード闘牛学校出身。昔市販されていたマドリード闘牛学校の先生(元闘牛士)による生徒への技を教える授業のビデオに出ていた。特徴のある顔なので覚えている。童顔の少年は、今は髭の濃い青年に変わっていた。2頭目の牛は、ラルガ・カンビアールで腰を捻って交換になった。代わった牛は、マンソで動きが悪かった。バンデリージャは自分で打つ。左右両方でちゃんと角の間で打てるが、刺す位置が悪かったり、1本しか打てなかったりする。

 カポーテやムレタの捌き方は悪くはないが、ムレタでは牛の角にはらわれていた。クルサードも深い、闘牛のやり方はしっかりしている。でも、牛に合わせてムレタを振ることが出来ていない。これは非常に難しいことだが、これをしっかり出来ないと、フィグラにはなれないし、闘牛で飯を食ってはいけない。彼は全体的に中途半端に上手い。闘牛学校の生徒としてはそれで良いが、闘牛士としては足りない。闘牛の世界はチャンスの少ない世界だ。何とか良い結果を出して欲しかったが、印象の少ない闘牛になった。バリエンテでもなければ、アルテのある闘牛士でもない。闘牛を知っていることは解るが、それも未だ闘牛で表現できていない。エンカボのように何かが足りない。多分目指すはエスプラのような闘牛を解っている闘牛士。今日は当たった牛も1番悪かった。

 セルヒオ・マルティネスは、3頭目で1番良い牛を引いた。牛の角は、大きく開いて上を向き先が尖っていた。この角だけでビビりそうな牛だ。ベロニカをすると牛は飛んだ。パセで牛は走りきらない。危ない牛。ピカは右後ろに入った。その時、牛が飛んで角が馬とピカドールに刺さりそうになって悲鳴が上がった。2度目のピカは、遠目から牛を呼んで左後ろに入った。拍手が沸く。素晴らしいバンデリージャを打ってバンデリジェーロが喝采を浴びて挨拶をした。

 牛は観客へ捧げられた。デレチャソでアレナ中央へ。15m距離を取りデレチャソで牛を呼ぶと牛が走りだした。デレチャソを3回繋ぎパセ・デ・ペチョをすると、「オーレ」がなり喝采が鳴った。また牛から距離を取り、20mか15m距離を取りデレチャソで牛を呼ぶ。少し距離が遠かった。12mくらいになって呼ぶと牛が走りだした。デレチャソを4回リガールしてパセ・デ・ペチョをすると、「オーレ」がなり喝采が鳴った。この牛は遠くから呼ぶと来る牛。そして、パセの時にしっかり頭を下げて長いパセが出来る牛。良い牛を引いた。グラン・トロだった。

 距離を取り8mの所でナトゥラルで誘うと距離がピッタリで手の低い長いナトゥラルが繋がった。「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョで喝采がなる。離れ10mで牛を呼びナトゥラル。「オーレ」が続いた。パセ・デ・ペチョで喝采がなった。もう少しムレタが綺麗に開いていれば観客はもっと興奮しただろう。どうもムレタを持つ位置が外側過ぎた。タキージャドールの先が下を向きすぎているからムレタが綺麗に開かない。耳2枚取れる牛だった。パセ・デ・ペチョの後、返りが早くなった。剣を代え、アジュダード・ポル・アルトをして牛をスエルテ・コントラリアで置いて剣を決めた。いくぶん、ペルペンディクラル(角度の深い剣)気味だった。牛は倒れ白いハンカチが揺れた。耳1枚。退場する牛に喝采が起き観客は場内1周を要求したが叶わなかった。

 耳2枚は出なかったが最後の牛で観客はプエルタ・グランデを期待した。が、悪い牛ではなかったが、なかなか良いパセを引き出せなかった。と言うのも、ナトゥラルが繋がるが、ムレタが綺麗に開かないので盛り上がらない。ムレタを持つ位置が悪いように見えた。あれでちゃんと牛をパセしていていたら耳を切れただろう。残念だ。

 ソトルコは危ない牛の方が観ていて面白い。バリエンテの闘牛士は、そこが見所。今日も危ない牛だったが、6月3日はミウラ牧場。こっちも期待できそうだ。サンチェス・バラは、中途半端に上手い。中途半端というのは、闘牛学校で学んだことを丁寧に実践しているが彼の特徴が何なのか、彼自身も解っていないし、観客も解らないのだ。おそらく闘牛を頭の中で解っているのだろうが、1頭1頭の牛の個性に合わせて闘牛が出来ていない。去年初めて30闘牛以上やったのでもう少し時間がかかるだろう。アベジャンやフェルナンド・ロブレニョのように、コヒーダされても牛に向かっていく気迫で観客訴える馬鹿にもなれない。ムレタの振り方だって牛がいなかったら綺麗に振れるんだろうけど・・・。

 セルヒオ・マルティネスは、去年サン・イシドロが終わった後の日曜日にラス・ベンタスで観た。その時の感想は日記に書いたが、一生に一回しかないプエルタ・グランデのチャンスを逃したと書いたが、今日も彼は一生に一回しかないプエルタ・グランデのチャンスを逃した。フィグラなら6頭目で綺麗なナトゥラルを繋いで、「オーレ」をならしてプエルタ・グランデしただろう。ナトゥラルをするときのタキージャドールの持つ位置があんなに外側じゃムレタを廻すときに綺麗にムレタが開かない。後一握りか、二握り内側を持たないと綺麗なナトゥラルにならない。彼がプエルタ・グランデできなかったのはその辺にあるような気がする。

 2回観て2回とも耳を取った。また何度も観て観たい闘牛士かというと、そうでもない。落ち着きはある。カポーテもムレタも悪くない。クルサードもちゃんとやっている。でも、闘牛から滲み出てくる個性を感じられないのだ。その個性を未だ発見できないのだ。個性を感じられる闘牛士に成長することを期待する。


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