ヘスリ・デ・トレセラがアルテルナティーバのどさくさで耳2枚。

2004年4月28日セビージャ(第1級)闘牛場の結果。

 晴のち曇りで時々風の吹くのセビージャ、レアル・マエストランサ闘牛場。牛、サルドゥエンド牧場。闘牛士、エンリケ・ポンセ、エル・フリ、ヘスリ・デ・トレセラ=トマール・デ・アルテルナティーバ。観客は満員の入り。ソルのグラダ6にて他9人プラス2人と観戦す。

 エンリケ・ポンセは、始めの牛で耳を取り損ねた。良い牛ではなかったが、丁寧にパセを繋ぎ耳に値するファエナにした。ポンセらしさはあまり出ていないファエナだったが、パセの構成と、良くない牛であそこまでもたせた事はポンセらしかった。剣が決まれば耳1枚が出ていただろうが、ピンチャッソ1回の後、良い剣が決まった。これで耳が消えた。2頭目の牛は膝ばかり着く牛で良いファエナにならなかった。

 エル・フリは、2頭とも膝を良く着く牛で、丁寧にパセを繋いで牛の能力を引き出そうとしていたが、良いファエナを引き出せる牛ではなかった。フリはセビージャで2回とも牛に見恵まれなかった。が、フィグラとしてちゃんとしたファエナを見せたことは重要なことである。2頭目の牛のファエナは牛が悪く退屈なファエナになってしまって口笛を吹かれていたが半分以上の人は拍手を送っていた。

 ヘスリ・デ・トレセラのトマール・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士認定式)で、1頭目と6頭目をやった。始めの牛は、アルテルナティーバなので観客に捧げた。この牛は膝を着くしブスカンドするし、力強さがないので動かなくなった。剣は、ピンチャッソ1回の後、メノス・デ・メディアのテンディダで良いところに刺さった。デスカベジョ1回。

 そして、最後ので良い牛を引き当てた。頭が高い以外は申し分のない牛だった。ブルラデロの前ではピタッと止まっていたしカポーテやムレタには素直に反応していた。シンプルなベロニカを繋ぐと、「オーレ」がなった。メディア・ベロニカも良かった。ピカは大きな首のこぶの後ろに2回入ってパセの時に頭が下がるようになった。牛はピカの時に馬からなかなか離れなかったが大した問題ではなかった。バンデリージャが手こずっていたが、ファエナは、右手の膝を折ったパセから始めた。

 手の低い長い右手のパセが繋がると「オーレ」の声が響いた。レマテのパセ・デ・ペチョの後の牛との距離の取り方は良かった。8m以上離れて、牛に息を入れさせてから牛を誘っていたので、牛はその間に息を整えて次のパセに備えることが出来た。右手の低い長いパセを繋いでパセ・デ・ペチョを2回すると音楽(パソドブレ)がなった。気持ち良いように右手の低い長いパセを繋いでパセ・デ・ペチョをして牛の前で見栄を切ると喝采が鳴った。ナトゥラルも長いパセを2回くらいやったがその後は上手く繋がらなかった。右角の方が反応の良い牛だった。

 だからまた、右手のトゥリンチェラから長いパセを繋いでパセ・デ・ペチョをして剣を代えた。右手の膝を折ったパセを繋いでトゥリンチェラ。牛をスエルテ・コントラリアに置いて、カイーダだったが1発で剣を刺した。剣が刺さった瞬間、闘牛場の観客は総立ちなって歓声を上げた。牛は直ぐに倒れ闘牛場は白いハンカチで埋めつくされた。プレシデンテはなんと耳2枚出すことを許可した。もう何だかどさくさまぎれの耳2枚だ。まっ良いか。アンダルシア、ヘレス出身のヘスリ・デ・トレセラは両手に耳2枚を掲げて観客の肩車で嬉しそうにガッツ・ポーズを繰り返す。手に持った耳を何度も振って満面の笑みで観客の喝采に応えていた。チャンスをものに出来た若者の姿は美しい。

 闘牛の世界はチャンスの少ない厳しい世界だ。少ないチャンスをものにて、初めて闘牛士人生が開けてくる。この少ないチャンスをものして、次のチャンスを生かすも殺すもこれは、ヘスリ・デ・トレセラ自身にかかってくるのだ。明日のフィグラ(有名闘牛士)を目指す若者の姿はいつの場合でも美しいのだ。これが彼の生涯で唯一度のトゥリンフォ(勝利)で終わらないことを願う。

 最後のヘスリ・デ・トレセラの耳2枚で連れてきたお客さんは喜んでいた。いくら良い闘牛の説明をしても、唯一度の良い闘牛に勝るものはないのだ。こういう闘牛場の雰囲気を味わうことが大事なのだ。


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