雨の中で寒い闘牛。牛が悪い中でイバン・ビセンテだけがまとも。

2004年5月23日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 小雨から大粒の雨に変わり5頭目でやんだ。風が吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、アランス・デ・ロブレス牧場。闘牛士、アントニオ・バレラ、ラファエル・デ・フリア、イバン・ビセンテ。日曜日でノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5アルトにて観戦す。

 アントニオ・バレラは、セビージャではクルサードもしなかったが流石にラス・ベンタスではやっていたが、牛を遠くから誘ったり、普段やったことないことをやっているのでムレタは牛の角にはらわれていた。外行きの闘牛をやったって体に染みついたものを消し去ることは出来ない。セビージャの時よりは良かったよ。でも、ファエナの後半で、牛の近くでクルサードしているのに何故、口笛吹かれたか解る?いかにも、俺は闘牛をやっているという、“臭さ”が鼻につくのよね。ちゃんとしたファエナの後ならいくらやっても拍手を貰うのにね。君、そんなことばかりやっていると、カルテルが減るよ。アポデラードがチョペラだからって結構闘牛場に出ているけど、このままじゃ、契約が切られるだろう。セビージャは、人をおだて甘やかす。甘やかされれば、厳しさを知らなくなる。これで良いのか、自分の胸に手を当てて良く考えた方が良い。

 ラファエル・デ・フリア。こいつは本当に終わった。何あの5頭目は。牛が悪いのは誰だって判る。でも1度も足を止めたパセをムレタで出来なかった。やる意志もなかった。牛の前で膝を折ってムレタを左右に振って牛を疲れさせただけ。剣を刺せば、バホナッソのアトレベサーダ(剣が牛の右から左に斜めに入る)でトラセラ(後ろに入る)。剣が肺に入っているから牛は口から血を吐いて倒れた。凄い口笛が鳴った。2頭目だって大差ない。ブスカンドする牛だったがムレタは角にはらわれてばかり。剣はカイーダ。

 2001年のサン・イシドロのトゥリンファドールは夢か、幻か、いや、まぐれだったと言われても仕方がないだろう。あれ以降有頂天になったのか地方でも結果を出せず遂にアポデラードまで契約を打ち切った。唯単に実力がなかっただけかも知れない。そういう奴に限っておごりがあり、反省もなく、全てを他人(牛とか)のせいにする。こういうのはお金だけ取って何もしないから泥棒と一緒。終わった後、物凄い口笛とブーイングが起こった。当然だ。それでもわかんないよね君は。「俺はプエルタ・グランデしたんだ」って言う過去の栄光だけにしがみついていくのだろう。彼に欠如しているのは、危機感だ。そして、1番大事なのは、今ある現実だ。危機感がないから現実が見えない。現実が見えない奴には全ての未来が閉ざされるのだって事が判らないの?

 イバン・ビセンテは、殆ど記憶にない闘牛士。去年観たんだけど、セラフィン・マリンの記憶しか残っていない。でも、今日は見直した。3頭目はブスカンドする牛だったのに怖がらすにクルサードして牛を誘っていた。最後の牛では、デレチャソで長いパセを繋いで沸かせた。でも、牛が悪い。直ぐに動かなくなった。クルサードも丁寧に繰り返して牛を何とか動かそうとしていた。剣はピンチャッソの後、アトレベサーダ(剣が牛の右から左に斜めに入る)で入る。3頭目の剣はデランテーラ(少し前)だったが良い剣が入り直ぐに牛が倒れた。

 アランス・デ・ロブレス牧場の牛は悪かった。脚に欠陥がある牛が多く、ブスカンドもする牛がいた。力強さがなく直ぐに立ち止まりファエナが続けられなくなった。おまけにマンソと来ちゃどうしようもないが、闘牛士もだらしがない。イバン・ビセンテは良いとしても、アントニオ・バレラはダメだし、ラファエル・デ・フリアは出涸らしのお茶のように味も香りもしないカスになった。どうしようもない牛なのは解るけど、闘牛士が諦めたら終わりだ。観客の前で、それでも何とかしたいんだという意思表示をしなかったら生き残れない。フィグラなら今日は諦めようと言うのは通用する。カルテルも一杯あるし、これで怪我したらテンポラーダが終わるかも知れない。でも、フィグラでもない奴がこんな闘牛じゃ誰が金を払ってまで見に来ようと思う?

 フィグラは、みんな命を懸けて良い闘牛をしてきたからこそフィグラになれたんだって事、知らないの?だから、闘牛を観た観客が感動をするわけでしょう?ラファエル・デ・フリアか。ラファエルの闘牛はフリア(寒い)なだけだ。


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