闘牛士たちがマドリードに勇気と感動を与えた。エスパルタコ、セサル・リンコン、耳2枚。ホセリート、ポンセ、耳1枚。

2004年4月17日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の列車同時爆破テロ被害者の為の慈善闘牛の結果。

 曇り一時小雨降り非常に寒いマドリード・ラス・ベンタス闘牛場。登場順に、騎馬闘牛用、ルイス・テロン。闘牛用、アルクルセン、エルマノス・トルナイ、アルクルセン、マルティン・アランス、サルドゥエンド、ダニエル・ルイス。 出場闘牛士、騎馬闘牛士、アントニオ・ドメク、闘牛士、ホセ・マリア・マンサナレス(父)、 エスパルタコ、セサル・リンコン、ホセリート、エンリケ・ポンセ、エル・フリ。観客は7,8割の入り。テンディド7のバレラにて観戦す。

 入場行進に後、犠牲者に1分間の黙祷が捧げられた。

 1頭目騎馬闘牛士アントニオ・ドメク。去年馬を焼き殺された影響で闘牛を出来なかった。多分調教した馬は、兄のルイス・ドメクが闘牛に使っていたので彼は1年間アレナで自分を表現することが出来ずにいたのだ。久しぶりにタズナ捌きを観たが悪くなかった。が、やはり約2年間アレナを離れていた影響は感じられた。あまり派手な演技をする人ではないが、キエブロをしたり、バンデリージャを打った後、馬を1回転させたりしていたが、これは調教の成果だろうが、間というか構成が上手く行っていなかった。それでも、剣が決まっていれば耳が出ただろうが、1回目がピンチャソ。次に非常に良い剣が決まって拍手の中挨拶。

 2頭目ホセ・マリア・マンサナレス。僕は今まで彼の闘牛を何度も観てきたが初めて感心した。もっと正直に言えば、感動した。カポーテでベロニカを繋ぐと、牛の反応がどうもおかしい。初めは風の影響かと思ったがそうではない。彼も観客も直ぐに気づいた。左角が体の前を通るときには反応が悪く、右角が体の前を通るときは良い反応をする牛だと言うことを。それを見抜いてからの彼は、右角の方でパセを繋ぎ、「オーレ」を叫ばせた。こういう単純な当たり前のパセが闘牛には重要なのだ。

 ピカの後、牛が離れたら、膝を着いたまま5,6m膝走りした。あまり良い牛ではないことが判る。牛は、観客に捧げられた。それでもムレタでは、ちゃんとクルサードして(こんなにちゃんとクルサードしているマンサナレスを観た記憶がない)牛を誘ってデレチャソを繋ぐ。右角の方が反応が良いのでこの選択は正しい。牛に力強さがないのでゆっくりしたパセになる。それはそれで良いのだが、途中で牛が何度も止まる。それでも長いパセを丁寧に繋いでいた。左角の方はダメだろうと思っていたら何と、長いパセを何度も牛から引き出していたのには感動した。流石にフィグラだ。剣はスエルテ・ナトゥラルでカイーダ。デスカベジョ1回。喝采に迎えられて挨拶。

 3頭目エスパルタコ。何と言ったら良いんだろう。こんなに良いエスパルタコを観るのは91年以来だ。シンプルなベロニカを繋ぐと「オーレ」がなった。レマテはラルガを2回。素晴らしいじゃないか。観客は喜んでいる。ピカが1回入り、バンデリージャ。これが良かった。角の間でちゃんと打っていた。バンデリジェーロに喝采が送られる。ブルラデロに牛が来ていて、それに反応出来ずいたらエスパルタコがカポーテを持っているバンデリジェーロの所に来て牛を離して挨拶できるように配慮した。こういうヘスト(姿)がエスパルタコらしくて良かった。

 ナトゥラルから初めゆっくりしたパセを繋ぎパセ・デ・ペチョをするともう観客は彼のものだった。全盛期の落ち着きと一つ一つのパセの形が良かった。パセ・デ・ペチョも体の近くを通していた。昔は牛が1頭分くらい体から離れてパセを通していたのに、これには驚いた。牛に力強さがなく反応が悪くなる。それでもそこは元7年連続NO1闘牛士。丁寧にパセを繋ぐ。牛が頭を下げてパセの途中で止まっても、そこからムレタを動かし牛を誘ったりしてゆっくりパセを繋いでいくと闘牛場に「オーレ」が鳴り出した。剣は良いところに決まった。バンデリジェーロにカポーテを振らせないように牛から遠ざけた。あまりに良いところに入っていたためか牛は倒れずカポーテを振っていたら牛が膝を着いた。満面の笑みで弟から帽子を受け取り、観客の喝采に応えた。白いハンカチを観客が振り続けプレシデンテは耳2枚出すことを許可した。この日彼はちゃんとクルサードしていた。カポーテにしろ、ムレタにしろ素晴らしかった。エスパルタコは多分20年ぶりくらいのラス・ベンタスでの耳2枚なのだろう。

 4頭目セサル・リンコン。闘牛が始まる前に観客から拍手が起こった。久しぶりにラス・ベンタスに登場したので、セサルを讃える喝采だったのだろう。牛が出てきてベロニカを繋ぐと「オーレ」がなった。メディア・ベロニカを決めると喝采が鳴った。いきなり盛り上がっている。綺麗なラルガで馬を牛の前に置いた。ピカは1回やや左側に入ったが良い場所だった。ブリンディースは帽子を一旦上に上げてから観客に向けたので、犠牲者と観客に牛を捧げたことになるのだろうか。ムレタでは、初めの試しのパセで牛の反応を確かめて、距離を取って右手のパセをした。この牛は、反応が悪かったので、初めの方では、1回1回距離を取ってパセを繋いだ。これがセサルのやり方だ。そのうちに牛が少しずつ動き出す。

 手の低い大きく長いパセを続けると「オーレ」が叫ばれた。パセ・デ・ペチョの後、距離を取って牛を誘う。これが良いところ。でも1度、誘って牛が来ないので段々近づいていって1mくらいの所になったときはセサルの悪い癖が出たなと思ったが牛が動き出したから良かった。ナトゥラルも割と良かった。自信を取り戻したように闘牛を謳歌している。レマテの後、観客の方を観て笑顔を見せていた。それにしても右手の大きく手の低い長いパセはやっぱり迫力がある。「オーレ」が叫ばれそれにセサルものっていった。それと牛との距離の取り方が素晴らしい。これがセサルの真骨頂。剣と代えてからトゥリンチェラを繋ぎ非常に良い剣が決まった。バンデリジェーロにカポーテを振らせないようにして遠ざけた。牛はタブラを7,8m歩いて膝を着いた。

 観客は一斉に白いハンカチを振り始め口笛を吹いた。セサルはアレナ中央に置いた帽子を取りに行き、バンデリジェーロと嬉しそうに抱き合った。今日のメホール・ファエナだった。プレシデンテは耳2枚出すことを許可した。僕は何だか夢のような気分で興奮していた。セサルがラス・ベンタスで耳を2枚切ったのだ。例えフェスティバル闘牛でもこんな事はもうないかも知れないと思っていたからだ。

 5頭目ホセリート。闘牛が始まる前に観客から今年休養しているホセリートに対して、セサルより大きな拍手が起きた。ホセリートに対する励ましに拍手。やはりベロニカを繋ぐと「オーレ」がなった。メディア・ベロニカ。力の抜けた良いベロニカだった。キーテも披露してレマテはセルピエンティーナ。ホセリートらしい構成だった。ムレタでは、遠目から牛を誘って、デレチャソと繋ぎパセ・デ・ペチョ。牛が今ひとつだったのが足を開いて胸を張り腹を出して手の低いパセを繋ぐと「オーレ」が叫ばれた。このまま良いファエナが続くのかと思ったが牛に力強さがない。後はあまり良いパセが出来なかったが剣が少しずれたが、そこはフェスティバル闘牛。耳1枚が出た。

 6頭目エンリケ・ポンセ。闘牛が始まる前に観客からポンセに対して喝采が起きた。セサル以降の闘牛士には全員喝采が送られた。正直言えば、ポンセにはガッカリした。セサルはセサルらしく、ホセリートはホセリートらしく、闘牛をした。しかし、ポンセはダメだった。おかしいなぁ。レマテの後に何故ポンセは一旦牛から離れて距離を取らないのだろう。同じ距離で牛を誘っている。こんな闘牛士だったけ?取り立てて書くような所がないファエナだった。剣が決まりデスカベジョを格好良く1回で決め耳1枚。フェスティバル闘牛だから。

 7頭目エル・フリ。闘牛が始まる前に観客からフリに対して喝采が起きた。他の闘牛士はアレナにちゃんと出てきて挨拶していたがフリはブルラデラから出ずに帽子を取ってちょっと合図を送る程度で直ぐ牛を出してくれという仕草をした。若いなぁそういうところ。ダニエル・ルイスの若牛が非道く観客から交換を要求が出た。後ろ脚から崩れるように何度も座り込んだ。これじゃどうしようもない。直ぐに剣を代えて刺した。観客からフリに口笛も吹かれた。

 3月11日の列車同時爆破テロ被害者の為の慈善闘牛は、観客が闘牛士への暖かい声援で盛り上がった。慈善闘牛へ参加した闘牛士へは退場の時にも喝采が送られた。今回はこういう慈善フェスティバル闘牛だったせいかプエルタ・グランデはしなかった。小雨まで降り観客はオーバーにマフラーという冬服を着ての観戦で7,8割しか入らなかったが非常に意義のある列車同時爆破テロ被害者の為の慈善闘牛だった。闘牛士たちはマドリーとの観客に勇気と感動を与えて闘牛場を去っていった。この感動を胸に観客は生活を送ることだろう。やっぱりフィグラがこれだけ集まると闘牛が盛り上がる。明日はもっと厚着して闘牛場へ行こう。


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