エル・シド耳1枚。牛が悪く交換もしないプレシデンテは闘牛をぶち壊した。

2004年6月10日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 快晴で暑いが風の吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、アルクルセン牧場。闘牛士、セサル・リンコンに代わり、エル・シド、セラフィン・マリン、マティアス・テヘラ。観客は約8割の入り。ソルのテンディド7コントラ・バレラにて写真撮影しながら観戦す。

 ファン・カルロス国王主催のベネフィセンシア(慈善闘牛)で、ロイヤル・ボックスにはファン・カルロス国王、コムニダ・デ・マドリードのプレシデンタが並んで観戦した。1頭目から3頭目の牛は、ファン・カルロス国王に捧げられた。

 エル・シドは、5日に続いて良いファエナをした。勿論、5日の2頭目のファエナの方がずっと良かったが。1頭目の牛はブルラデロに行かなかった。足を止めたベロニカが出来なかった。前脚に欠陥があった。口笛が鳴る。ピカが右後ろに入って、離れたとき牛がよろけた。ファエナは膝を折ったデレチャソから始めアレナ中央へ。クルサードして手の低い長いデレチャソを繋ぎ、「オーレ」がなりパセ・デ・ペチョで拍手が沸いた。距離を取りデレチャソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。レマテの後の牛との距離の取り方が上手くなった。これは5日の闘牛で気づいたのだろう。

 手の低い長いナトゥラルを繋ぐと、「オーレ」が5回なった。パセ・デ・ペチョで拍手が沸く。ナトゥラルを3回パセ・デ・ペチョ。離れデレチャソ3回でパセ・デ・ペチョ。その間、「オーレ」が続いた。剣を代えて、アジェダード・ポル・アルトからナトゥラル、トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョで拍手が沸いた。アビソが鳴り、剣はスエルテ・コントラリアでピンチャソ1回の後、良いところに剣が決まった。素晴らしい剣だった。牛が倒れ耳1枚が出た。

 4頭目のファエナも割と良かったが耳の雰囲気がなかった。TVでは剣が決まれば耳が出るだろうと言っていたそうだが・・・。しかし剣刺しに入ろうとパセをしていたら牛が右前脚を脱臼して立っていられなくなり、剣が刺せなくなった。デスカベジョを1回やったが本来はプンティージャをしなければならない。

 セラフィン・マリンは、2頭目で耳が出そうな感じだったが、良いパセを繋げなかった。パセをゆっくりすればもっと、「オーレ」も出ただろうし、観客も興奮しただろう。セラフィンはクルサードをちゃんとやっていたが、デレチャソもナトゥラルも良いパセは数えるほどしかなかった。おまけに剣は凄いバホナッソ。頭を抱えていた。耳の出ようがない。5頭目は非道すぎた。何故牛を交換しなかったのか理解の仕様がない。プレシデンテは大きな間違いをした。

 マティアス・テヘラは、牛にも恵まれなかったが、印象に残らなかった。

 ベネフィセンシアのカルテルが発表になったときは、2人の闘牛士が決まっていた。セサル・リンコンとモランテ・デ・ラ・プエブラ。セサルは怪我で出場が出来なくなったし、モランテは引退した。そして結果的に今年のサン・イシドロで活躍した3人の出場になった。みんな期待していたが牛が悪すぎた。

 それにしても4頭目と5頭目はどういうことなんだ。4頭目も悪いのが判っているのに観客が騒ぐのが足りなかったし、代えて良い牛だった。5頭目は明らかに代えなければならない牛だったのにプレシデンテのサンチェスは代えようとしなかった。セラフィンは何も出来なくて当然だ。折角の闘牛をプレシデンテがダメにしたと言われても仕方がないだろう。プレシデンテのサンチェスは、何も今日に限ったことではない。いつもこんな調子で闘牛をダメにする。闘牛を知らない人間がプレシデンテをやっているのでどうしようもない。サンチェスはプレシデンテを辞めるべきだ。

 1頭目の牛は割と良い牛だったが、その他の牛はマンソだった。4頭目はインバリドだったし、5頭目は明らかなインバリド。1番非道かった。2頭目のセラフィン・マリン、4頭目のエル・シドは良くやった。でも、観客は2人に耳を与えようという気になっていたし、あわよくばプエルタ・グランデを考えていたが、それが出来なかったのは上記の通りだ。闘牛とは、良い牛が出なければ良い闘牛を観るのは難しい。この当たり前のことを改めて認識した。


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