ホセ・トマス(Jose Tomas)

por斎藤祐司

 

 1975年8月20日マドリードのガラパガールで生まれる。本名、ホセ・トマス・ロマン・マルティン。

始めての闘牛。1991年2月7日。バルデモリージョ。15歳。

ノビジァーダ・コン・ピカドール(見習い闘牛士)、デビュー。1993年6月24日ベニドルム。17歳。

トマール・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士認定式)

  1995年12月10日メキシコ・シティー(20歳)パドゥリーノ、ホルヘ・グティエレス。  

コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士確認式)

  1996年5月14日(20歳)。パドゥリーノ、オルテガ・カノ。テスティーゴ、ヘスリン・デ・ウブリケ。

マドリード、ラス・ベンタス闘牛場。出場8回。耳7枚。プエルタ・グランデ2回。

−−−ラス・ベンタス闘牛場「プログラム」より−−−

  

 

 母は、あの有名なガナデロ(牧場主)のビクトリーノ・マルティンの妹。つまり、甥にあたる。

 闘牛士として、評価が低かったときから彼を高く買ってたのは、ホセリートだ。判る人にはちゃんと判るものらしい。

 1997年5月26日に、マドリードのサン・イシドロ祭でプエルタ・グランデ。その日以降アフィショナード(闘牛ファン)を虜にしている。今、闘牛士の中心にいるのがこの、ホセ・トマスだ。

 1997年5月26日のサン・イシドロ祭のファエナは、ラス・ベンタス闘牛場で最もうるさい、テンディドス7の観客に感涙を流させた。「俺達はこんな闘牛が見たかったんだ」彼等はそう言っていた。

 近場でやったチクエリーナ。左手1本でやったファエナ。牛から逃げずに、角の間に体を入れて向かえる姿勢。最後の剣刺し。どれを取っても最高だった。どれを取っても超一流だ。97年サン・イシドロ祭の最優秀闘牛士。

 98年、セビージャの闘牛場の興行主が、闘牛祭が終わってから「俺は何でホセ・トマスを祭に呼ばなかったんだろう」と、言ったそうだ。それはただ単に馬鹿なだけだ。アンダルシアの闘牛士ばっかりしか呼ばないからな、今のセビージャは。

 4月サン・イシドロ祭前に新聞のインタビューを受ける。その中で「去年のプエルタ・グランデはフロックだったのでは」と言われて「今年は、命懸けで闘牛をやります。良い闘牛をやる為に」と、答えていた。記者は闘牛を知らないのだろうか?去年の闘牛を観たらフロックなんかじゃないのは、一目瞭然だ。

 5月2日、耳1枚。5月15日、耳1枚。5月28日、耳2枚でプエルタ・グランデ。6月8日は耳は取れなかったが良いファエナをした。本当に4日間ホセ・トマスは良い闘牛をした。29日の新聞には「最高の花形闘牛士、ホセ・トマス」と、いう見出しが書かれてあった。(詳しくは、98年フェリア・デ・サン・イシドロ報告で)

 もしあなたが今スペインに行くのであれば、ホセ・トマスを必ず見ることをお奨めする。

闘牛観戦記の中の「97年に観た闘牛」「98年サン・イシドロ祭」を参考にして下さい。


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