ビセンテ・バレラ(Vicente Barrera)

por 中村信子

 

 1968年7月29日、バレンシア生まれ。本名、ビセンテ・バレラ・シモ。

始めての闘牛。1992年8月15日。ブランカス(テルエル)。24歳。

ノビジャーダ・コン・ピカーダ(見習い闘牛士)、デビュー。1992年9月16日。サン・パブロ・デ・ロス・モンテス(トレド)24歳。

トマール・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士認定式) 

  1994年7月25日バレンシア(25歳)。パドゥリーノ、クーロ・ロメロ。テスティーゴ、リトリ。

コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ(正闘牛士確認式)

  1996年5月22日(27歳)。パドゥリーノ、ホセ・マリア・マンサナレス。テスティーゴ、リトリ。

マドリード、ラス・ベンタス闘牛場。出場8回。

−−−ラス・ベンタス闘牛場「プログラム」より−−−

 

 大闘牛祭に必ず出場する、数少ない大卒闘牛士の一人。洒落っ気のある都会育ちで、上品な両親と姉、陽気な弟に囲まれ、暖かい五人家族の長男として育つ。祖父は同名の闘牛士だが、ビセンテが生まれる前に亡くなっていた為、彼は祖父の存在を知らずに育つ。

 両親は闘牛の世界から息子を遠ざけて育てたが、結局、16歳で闘牛を知った後、18歳の時に亡き祖父の故郷ラ・マンチャ地方のムネラで見たノビジェロの闘牛をきっかけに闘牛士になりたいと考えた。

 法学部卒後、一度は弁護士になろうとするが、心に芽生えた闘牛士への熱い思いを捨て切れず、普通の何倍もの早さで闘牛技を学び、92年にデビューする。その後、95年70回、96年73回、97年79回出場と、着実に一流への道を歩んでいく。

 一見、順調に見えるものの、96年三月のバレンシアで眼を負傷した時は、落ち込み、悩んだとのこと。その苦難を乗り越え、「とてもいい状態でやっている」と、その後のインタビューで答えている。闘牛のスタイルはマノレテ風のクラシック派。長身痩躯、佇立して、動きの少ないパセ(通し技)を行う。

 「闘牛は人生のようなもの……。重要なのはお金ではない、偉大な闘牛士として認められること」。闘牛士になって数年にして、言葉通り、彼は偉大な闘牛士への道を一歩ずつ進んでいる。今後、更なる期待が出来る闘牛士である。


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