墺太利ー日々是好日?
このページでは私が墺太利(オーストリア)にいて感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。(日記ですね)

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6月5日 朗読・・・

5月26日でついに30の大台を超えてしまった・・・。で、何か変わるかと思いきや、何も変わりません。今までどおりです。ま、多少は気合を入れて、論文書く気にはなりましたけどね。で、誕生日が終わってすぐ、こっちに来て最初のゼミでの発表がありました。日本から本を取り寄せて、ドイツの親友に本のコピーをしてもらって、読んで、理解して、まとめて、そこに自分の考えを入れて・・・日本語レジメの作成は終わった。で、ドイツ語作成・・・。1週間で出来ると考えていたのだけど、結局2週間かかった。で、ドイツの親友にメールで送って校正してもらって、表現直してもらった。(I様その節はありがとうございました<m(__)m>)そのあと、レジメを作って、発表当日になった。

最初は緊張してなかったんだけどね。作成した文章を朗読している最中読みにくい単語が現れた・・・。
で、そこから、つまづいたり、転んだり・・・・。何とか読み終えましたが、あれは、理解しにくかっただろうなあ・・・。
質疑応答が終わると、みんなゼミの仲間や先生がほめてくれましたが・・・。自分では納得がいってないです。あの読み方はひどかった・・・。
翻訳や、会話だけでなく、ドイツ語の読みの練習も大切なんだね。実感したさ・・・。

今日も、ゼミの仲間に大学で「よかったよ。君の発表。ちゃんと組み立てられてて・・・」なんていわれた。
今までほとんど話さなかったゼミ仲間が声をかけてくれてうれしかったのだけど・・・・
また、心の中で「あんなにひどい読み方したのになあ・・・」って・・・・・はあっ・・・ため息が出た。

ま、訓練あるのみなんだろうなあ・・・。うちの親父が、僕の小さかったころドイツでドイツ語で発表することがあって、その練習を
脇でみてたら、親父は30回いやもっと多かったかもしれない。自分が納得できるまで繰り返し読んでいた。
当時は、なんとも思わなかったけど、今考えるとすごいや・・・。親父殿尊敬いたします。<m(__)m>
親父がよく言ってる。「しつこくなれ」って・・・・。しつこくなっちゃいけないとこもあるけどが、しつこくすべきとこはしなきゃいけないんだな。
今回のことで実感。
さ、明日からまた頑張ろう。

5月1日  昆虫

春になった。

2ヶ月ほど前から、部屋で蛾をよく見かけるようになった。暖かくなって、蛾が外から入ってきたくらいに思っていたが、毎日5、6匹部屋で退治するようになり、部屋の大掃除を敢行した。すると、ベットの下の予備の布団に巣があり、大量の幼虫、および成虫を発見した。
早速、大家さんに相談し、布団を除去、殺虫剤を購入し、部屋の布製品をすべて薬品漬けにした。殺虫剤は人間には害のない物を利用したが、それでも、次の日の朝は、のどが痛かった。

また、大家さんと夜、軽く晩酌をしているとき、大家さんが、オーストリアや、南東ヨーロッパ諸国で流行しているダニ脳炎の話になった。日本ではまったくその話を聞いたことがなかった。なんでも感染すると、インフルエンザに似た症状を発症し、ひどい場合は死に至るとのこと。完治後も後遺症が残るらしい。先日、同居しているスウェーデン人学生がダニ脳炎の予防接種をしたという話はきいていたが、そのようなものだとは思わなかった。ダニは、郊外だけでなく、都市部の公園や樹木に生息しているとのことである。
外務省の海外渡航情報で確認するとダニ脳炎に関しての記述があった。詳しく知りたい方は外務省のページを参照すると良いと思われる。

3月11日 イスラム教Aモスク見学


昨日、イスラム教徒の友人に連れられグラーツ郊外にあるモスクに見学に行った。カトリックやプロテスタント、正教会の教会はかなりたくさん見学に行ったが、イスラム教のモスクは始めてなのでかなり緊張していた。また、モスクというと、イスラム教徒以外は入りにくいのではないかという先入観がその緊張に拍車をかけた。

中に入ってみると、何のことはないこちらにある普通のアパートを改築したものだった。メッカの方向の壁には、メッカの写真が飾ってあり、イスラムの暦にしたがって、祈りをささげるとのことである。祈りの最中に彼らが唱える言葉は、仏教の経文を唱えているといった感じにきこえた。
祈りが終了すると仲間と握手し、再び祈りのときが来るまで座り、またおのおのが祈り始める。
祈りの合間や、祈りのあと多くの人と挨拶をしたが、みな親切で、中にはモスクので行われていることについて丁寧に説明してくれた
部屋は3部屋からなり、一部屋は女性・子供用のものだった。

驚いたのは、モスクの一角に小さな店があり、食料品を販売していることだった。僕が訪れたモスクはエジプト人の集まるモスクだったので、エジプトから輸入されたもの、エジプトの人々が日常食べるものなどを販売していた。(ガヴァジュース、ナツメヤシ、魚(台湾産)、イスラム教で定められた方法で屠殺された鶏肉etc)。さらに驚いたのは、店員はが常駐ではなく、セルフサービスで支払うという点である。日本でこの方法を用いたならば、いくつかの商品は持ち去られてしまうのではないだろうか?そのことを話すと、「ここにも、「汝盗むべからず」というコーランの教えが反映している」と友人に言われた。

また、モスクは祈祷の場所という役割のほかに、アラビア語、コーラン、英語、ドイツ語などの学校の役割も果たしており、毎週日曜日には、授業が行われているとのことである。コーランの教えを子供に教えるために、壁には、コーランに記されている禁止事項が図とアラビア語で書かれたポスターが貼られていた。日本で教育を受けた私は、小学校での道徳の時間を思い出してしまった。(笑)

3月7日 授業開始

ついに、授業が始まった。今回は授業がドイツ語になるということもあって、6コマ計12時間とることにした。テーマは全部が歴史である。太陽の日差しも3月にはいってから徐々にではあるが、強くなってきた。日々是好日という本ページのタイトルにふさわしい気がする。授業に関してただひとつ問題がおきた。授業がドイツ語ではなく英語で行われるものがあるということだ。ドイツ語は半年語学コースにいたので何とかなるが、英語は・・・・理解は出来るけど話せない。はは、これからどうなるのだろう?ただ、先生が良い方で、何とかついてはいけそうだけどね。
てなかんじ、なかなか日々是好日とはいかないらしい。

2月28日 イスラム教@

僕の友人にイスラム教徒がいる。彼は、エジプト出身のスンニ派のイスラム教徒である。彼が僕のアパートのそばのアジア・アフリカ人向け学生寮(日本人は入居不可)に住んでいるせいもあって、よく行き来している。彼の宗教は、唯一神アラーを信奉するもの、一方の僕は、仏教徒である。よく、宗教や、現在のパレスチナ問題などについて熱い議論をしている。

宗教の話になると、神道という日本独自の伝統的な多神教(←この記述あってます?)と一神教との話になる。彼が言うには、アラーこそ唯一の神であり、他の神様はアラーが別の姿で現れたものだという。彼に言わせれば、日本人が信じる神もアラーの化身と言うことになってしまう。

僕自身は神道や仏教についてこちらに来るまであまり関心がなかったので、あまり反論できなかったのだが、日本における「カミ」の概念は欧米やアラブのそれとは異なる。こちらに来てから読んだ、仏教や日本文化に関する文献が、彼との議論に役立っている。

彼の話では、ユダヤ教やキリスト教についても、モハメッド以外の預言者、すなわち、モーゼやキリストがアラーの声をきいて作り上げたものだという。だから、ユダヤ教徒やキリスト教徒には寛容なのである。また、平和な世界を築かねばならないともコーランに書かれているらしい。しかし、寛容とはいっても、イスラム教徒であることが、最善のことであるらしいし、彼の話だと、コーランには、世界の終末が近づくと、イスラム教徒とユダヤ教徒の間に最後の戦争が起こり、ユダヤ教徒は全滅するらしい。だからといって彼らイスラム教徒がそれを望んでいるといったことはない。

イスラム教徒は、週に1回モスクに行く。そこで彼らは神に祈り、友人と情報交換し、コーランについての勉強会を行う。これはコーランに定められていることらしい。一般的に宗教に関して言えることだが、宗教的行事への参加は、その宗教の一員である自覚をつよめる。しかし、イスラム教の場合は、国家や文化などがすべてコーランに支配されているので、宗教的な意味とともに日常生活を豊かにする意味もかなり強い。たとえば、豚肉を食べることが出来ないのは、コーランに書いてあると言う理由によるものである。豚に寄生する病原菌はかなり危険なもので、砂漠地帯の高温地域では菌の繁殖力もすさまじい。それを下手な調理方法で食すれば、死にいたらないまでもかなり危険な状態になる。それを考慮してコーランに豚肉の禁止が記述されたのではないだろうか? また、多妻制に対してかなりな批判が起きているが、これはイスラム教が発生した当初、戦争で男を失った女性や子供を救済する目的で容認されたと何かの本で読んだことがある。
キリスト教には生活に関する規範が少ないか、あっても、あまり実行されていないように感じる。その意味で、イスラム教はキリスト教よりも有用な気がする。

しかし、宗教を比較し、その優劣をつけるのは、好ましくない。中には、どうしようもない新興宗教もあるがそれを信じている信者にとってその宗教は、彼らの精神のよりどころとなる唯一のものであるから・・・。続く

2月15日 試験 

一昨日試験が終わった。1次試験は先週あったのだけれど、1次の出来具合に不安があって、落ち着かない週末を過ごした。クラスのほかの友人たちもかなり不安だったらしく、一緒にお茶に行っても試験のことばかり考えているようで、あまり楽しくなかったようだ。2次試験は、口述試験だった。僕に出されたテーマは喫煙に対してのネガティブな意見とポジティブな意見が渡された紙に書いてあった。15分でそれを読み要約し、さらに自分の考えをメモしておく。そのあと15分で先生二人を相手に口頭で要約を発表し、さらに自分の考え、自分の母国での様子について話した。結果はその場で本人に通知される。結果は・・・・・・・・・・・・・・・合格だった。(^_^;)ただ先生に試験に受かったからといってドイツ語の勉強を止めないようにと言われた。これから、ここで生活、研究していく上で必要なものだから、しないわけにはいかないだろうなあ・・・・。

来週成績表が発行される。これでようやくここグラーツで研究を始めることが出来るわけだ。ただ授業が始まるのは、3月4日から・・・。2、3月が休みだった今迄から考えるとちょっと憂鬱ではある。まだ、授業開始まで日にちがあるので、来週大学の手続きが終わり次第、ドイツにでも行ってくるつもりでいる。少しは休養も必要ということかな。

次回は僕のイスラム教徒の友人たちについて書こうと計画中。

2月2日 日本文化

日本への一時帰国からあと4日で、1ヶ月。早いもんだ。なんか、インターネットと電子メールが普及しているせいで、日本にいるのとほとんど変わりない生活を送っている。毎日日本のニュースが、メールで送られて来る。たまに日本の友人と話すと彼らよりも僕のほうが、日本の時事問題に詳しかったりする。国外にいるとことさらに自分の故郷のことが気になるということに気がついた。

また、こっちに来て、日本人以外の友人に日本の歴史や文化、思想について質問されることが多々ある。日本にいるときあまり日本に関して興味のなかった僕は、答えられないこともある。「日本人なのに(日本のことを)知らないのか?」と言われると恥ずかしい限りである。おそらく日本以外の国の人々は、自国の文化、歴史についての教育がきちんとなされ、もしくは自らすすんで学んでいるのではないだろうか?

また、今週末は大学で研究するのに十分なドイツ語力があるかどうかを問う試験がある。1次が筆記で2次が口述である。この試験には、1次、2次ともにあるテーマ(たとえば、環境問題、女性の仕事、喫煙、教育etc.)について自分の考え、自分の出身国での状況についてドイツ語で論じることになっている。こういうところにも、「自国の文化、歴史について知っているのは当然である」という意識があらわれているように思われる

日本を9月に出発する直前に、大学院の先輩(注1)に、
「君が向こうで研究する上で忘れてはならないことがある。君が日本人で日本人として向こうの歴史を研究することだ。つまり、日本人の見方で・・・。それは日本人である君にしか出来ないことなのだから・・・。」
その言葉をきいた時には、当たり前と思って聞き流してしまったが、今、現実にこっちに来てみると、非常に大切なことを先輩は言っておられたのだとかんじた。先輩!!いまさらながら、感謝いたします。m(__)m

そういうこともあって、僕は、日本にいたとき、読む機会のあまりなかった日本に関して書かれた本を読んでいる。歴史、文化、政治、思想、文学などその分野は多岐にわたっている。「留学しに来て日本の本を読むなんてばかばかしい」と思う人がおられるかもしれない。しかし、日本人である私たちが「日本のことを知らない、考えない」ということは、私たちにとってあってはならない。日本に生まれ育ったのだから、日本固有の文化、歴史についての認識をしっかりと持たなければならないと私は考える。

(注1)ここで言う「大学院の先輩」とは僕のページにリンクを張っていただいているSchwalbeさんのことではありません。(念のため)