判 例(法人税)5
更新2001年5月17日
2001年4月23日
[21]個人的な性質をもつ支出
(最高裁の判決3969/仏暦2532西暦1989原告は法人、被告は国税局) 原告は、当座借越利息を所得を計算するとき損金とした。しかし、借越をした当座預金の口座所有者の名前を、会社の名前ではなく個人の名前を使ったときは、その当座借越は、個人の資格で行われたとみなさなければならない。これだけでなく、原告の損益計算書の中で、その口座残高を超える引出し利息を支払いの項目表示がされていなかった。それゆえ被告は、国税法65条の3(3)により個人的な性質をもつ支出として考えられることにより、原告がその利息を所得を計算するとき損金とみなすことを容認しなかった。これは法に適合している。
2526年の会計期間の税として被告は原告に還付しなければならないということを口実にして、18、825バーツを法人税の支払い時に法人税から控除した。しかし、この裁判での課税は、2527年、2528年の会計期間の課税である。原告はその税金をこの裁判での税金から控除することはできない。なぜなら原告は民商法により債務の代償として控除することを引用したが、異なる会計期間の税金を控除するということであり国税法69条の2(源泉徴収された所得税をその支払いがされた会計期間の法人税から控除するということが規定されている)により控除できない。いかなる点においても原告は2526年の会計期間の課税の際、被告が債務を負う(税の還付がある)と考えさせるように伝えなかった。また、2526年の会計期間の原告の税金を調査する機会があったことを明らかにしなかった。結果がどうであれ、課税及び判決は、法に適合している。
解説
1775/2522の最高裁の判決
いろいろな形での顧客の接待費、たとえばスポーツ観戦のチケット購入補助、政府の重要人物の誕生日を祝うプレゼント、他の人の自動車のエアコンの取り付けは、同じ目的の支出である。すなわち幾人かの利益のためであり、会社の事業のための支出であることを示す事実関係はない。個人的な性質をもつ支出とみなされる。
2761/2524の最高裁の判決
原告の会社の支出。@いろいろ開催されるチケットの購入費、たとえば、音楽会、演劇、Aいろいろな機会におけるプレゼントの購入費、たとえば、誕生会、結婚式、新年会でのもの、Bいろいろな行事の補助費、たとえば出家、托鉢、僧衣献上、これらは個人的な性質をもつ。もし、会社の名前や商品を広告する側面から代償があっても付随しただけである。行為のいくつかは公益性がない。65条の3(3)により所得を計算するとき経費として控除することはできない。
2951/2527の最高裁の判決
出張を承認した会社の議事録のない及び帰ってきたとき出張の詳細な報告がなく、原告の事業に関して出張したという証拠として他の書類もない会社の取締役その他の旅費の支出は、その取締役その他の個人的な旅費の支出とみなす。特に利益のため、又は事業のための支出ではない。原告は、65条の3(3)(13)により所得を計算するとき損金として控除する権利はない。
原告が顧客のための支出であると述べた接待費は、領収書には原告が支払人であると明らかにされていないし、誰の接待のために支払いどの事業に関して支払ったか証拠はない。原告はカーペットの購入費、冷蔵庫の修理代、靴代、服一式の仕立て代を接待費として支払項目に記入していた。真実と合っていない項目に記入したということを示している。もし、被告である税務調査の担当者が、帳簿と証拠を調査しないならば、正しくないことを見つけるのは不可能である。前述の支出は、個人的なものであるとみなすことができる。原告は、65条の3(3)により所得を計算するとき損金として控除する権利はない。
この裁判では、原告が所得を計算するとき損金として控除した利息が65条の3(3)により個人的な性質をもつ支出とみなすかいなかという問題がある。
筆者は次に該当するとき、その利息は所得を計算するとき損金として控除する支出とみなす。換言すれば、損金とされない支出とみなさない。
この裁判では、たとえ事実関係において銀行に対して当座借越利息を支払ったと信じても、その当座借越利息を支払った当座預金の口座所有者に個人の名前が使われていた。口座所有者として原告の名前が使われていない。それゆえ当座借越は個人の資格による個人の行為であるとみなさなければならないい。これだけでなく、原告は損益計算書でその利息の項目の表示がない。それゆえ65条の3(3)により個人的な性質をもつ支出とみなすことにより、原告の所得を計算するときその利息を損金とみなすことを承認しない。法に適合している。
最高裁において、原告が当座借越利息の支払者でないと判決した。原告は所得を計算するときその利息を損金として控除できない。この判決は、この裁判だけの判決である。もし、口座名が税金を支払う人の名前でなく他の人の名前であるならば、その利息を損金とすべきではないということが絶対の基準とみなしていない。もし、税金を支払うものが、裁判所に他の人の名前がただ税金を支払うものの代わりであることを証明して信じさせることができたならば、正しくないとすべきである。税金を支払うものが、借越金を受け事業に使用し、利息を支払った口座の所有者である。支払った利息は所得を計算するとき損金として控除すべきである。しかし、この裁判で最高裁は、原告が実際当座借越をし、利息を支払った口座の所有者であると信じなかった。最高裁は、その口座が個人の口座であると信じた。このように最高裁が信じたとき、支払った利息は原告の支出ではなく個人の支出とされる。原告は、65条の3(3)により損金とされないことから所得を計算するとき損金として控除できない。
[22]棚卸商品の評価と貸倒
(最高裁の判決876/仏暦2535西暦1992原告は法人、被告は国税局)原告は、原告の基準に従って値下げすることにより、会計期間の終了の日における棚卸商品の評価をした。たとえば、長く使用できる商品は10%、18ヶ月以内に購入した工具、道具は値下げしておらず、もし購入してから2年を超えている場合には10%。しかし、事実関係において原告と同じ種類、型、品質、状態の商品が、原告の付けた価格に従って前述の期間に市場において売買された、又は原告は、原告が付けた価格に従って価格をつけた日以後に商品を販売したと聞くことはできなかった。原告が評価した棚卸商品の価格は、市場価格とみなされない。原価より低い価格を会計期間の終了の日における棚卸商品の価格とすることは、計算理由が65条の2(6)規定に適合していない。会計期間の原告の所得は間違っている。課税係官が、原価により会計期間の終了の日における棚卸商品の価格を計算することにより、新たに所得及び法人税を調整することは法に適合している。
解説
@個別法
A先入先出法
B後入先出法
C総平均法
一方、市場価格で棚卸商品を評価することは、基準として国内における会計期間の終了の日において販売できる同一の種類、型の商品の価格を使って評価することである。もし国内の価格がわからないならば、世界の市場の価格に、会社に届くまでの船積料、保険料、輸入税、付加価値税、移動費、保管料、輸送費を加えて市場価格として使う。この市場価格で棚卸商品を評価することについて、ただ基準となる商品の市場価格が下がったという事実だけを使うべきではない。品質の低下、時代遅れ、破損又は長く保管して古くなった商品は安くなるべきであるということは、より低い市場価格を付けることを支持する原因となる。なぜなら、原因となるこれらの事実により商品の価格が低下したからである。
この裁判では、原告は期間を考えて、商品の種類、型に従って原価を値下げする方法により棚卸商品の評価をした。たとえば長く使う商品10%、3年以内に購入した一般的に消費される商品は50%、5年を超えるものは全部。値下げした価格を市場価格として使い利益を計算した。たとえばこの方法に理由があっても、長く保管した商品は当然品質が低下し、時代遅れになり価格を下げることができても、原告の付けた価格は市場価格と同一ではない。原告は市場における価格を調査した原告の販売部門の従業員に証明するため証言させなかったし、市場の中の他の物品の販売者に原告を支持することを証言させなかった。原告が評価した棚卸商品の価格が、市場価格であると認めるには証拠がまだ十分ではない。それゆえ最高裁は、原告が評価した棚卸商品の価格は市場価格でない。原告が原価より低く評価した棚卸商品の価格は、会計期間の終了の日における棚卸商品の価格とすることはできない。原価を基準として新たに会計期間ごとに所得及び法人税を調整しなければならないと判決した。
この裁判では原告は負けた。なぜなら所有期間を考慮して商品の種類や型に従って原価を値下げする方法により棚卸商品の評価をしたことについては、明確であると思わせ、評価した価格が市場で売買される価格であると主張しなかった。もし原告が明確であると主張したならば、例えば、原告は市場における価格を調査した原告の販売部門の従業員に証明するため証言させ又は、市場の中の他の物品の販売者に原告を支持することを証言させたならば、裁判の結果は、原告が勝つことができる方向に変わったかもしれない。
2.信用取引で商品を販売することは、当然、通常貸倒があるだろう。会計上、その会計期間の利益又は損失のため、貸倒の疑いのある債権をもっとも実際に近くするように評価することがある。この見積もった貸倒金額は、「貸倒のための費用」又は、いくつかの教科書では「貸倒のの疑いのある債権」と呼んでおり、仕事を行う上での経費とみなされ、損益計算書で表示しなければならない。しかし税務上、見積もった貸倒金額は、税金を支払うため所得を計算するとき損金とみなされないだろう。なぜなら、まだ実際貸倒が発生していない支出であり、65条3(1)により損金とされない。貸倒が実際発生したときにおいて、税金を支払うため所得を計算するとき損金とみなされるだろう。重要な点は、債務の返済を受けるため貸倒の発生に従ってより適切に行うことができないかもしれない場合を除き、適切に行わなければならない(65条2(9))。この基準は古い法律に従った規定である。2526年1月1日以後に開始する会計期間からは新しい法律に従う。
新しい法律は、貸倒が実際発生しなければならない他、省令で規定された基準、方法、条件に従って行わなければならない。そして税金を支払うため所得を計算するとき損金として貸倒処分することができるだろう。最初の省令即ち第159号(2526年)、2番目の省令即ち第181号(2532年)、3番目現在の省令即ち第186号(2534年)。現在の省令おいては、損金とみなされる貸倒処分は、債務者が債務を返済する財産があるかないかにより、裁判所に訴えなければならないものと訴える必要のないものがある。いくつかの場合には、裁判所に訴えるだけではまだ十分ではない。裁判に勝って裁判所の命令がなければならない。2526年の会計期間前における貸倒処分は、裁判所に対して訴える必要性がなく、債務の返済を受けるため適切に行うだけで、債務の返済を受けなかったことにより行うことができた。現在と違っている。それゆえ、この裁判の場合、損金として貸倒処分するには十分である。もし現在の法律が適用になるならば、貸倒処分はできないだろう。
コメント
2.「適切に行う」というのはどういうことをいうのか。
最初に集金係の従業員が債務者から集金を行うことから始まる。もし問題があるなら販売部門に当たらせる。それでも集金できないならば、総務部門が債務者に催促の書状を送る。なお債務の返済を受けられないときは、法律的な処置を行う。法律部門が債務者に催促状を送っても返済されないならば、取締役は、適切に債務者を訴える又は訴えないことを審議することになる。もし取締役が審議し、たとえ訴えても債務の返済を受けることができないかもしれないし、効果なく多くの経費を支払う又は、元が取れなく債権の金額を超えて経費を支払わなければならないと考えるならば、債権勘定から貸倒処分を行わせるだろう。販売部門の従業員は、債務の返済のため何度も債務者の住所や事業所を追跡した。多くの案件については弁護士に督促状をつくらせた。次のことが明らかになった。いくつかの案件は、債務者が事業をやめ追跡したが会えなかった。いくつかの案件は、債務者の店が火事になった。いくつかの案件は、債務者が死亡してしまった。いくつかの案件は、債務者が収監された。債務者の一人は破産したが債務の平均の30%を返済するようにお願いした。いくつかの案件は、債務者は催促を受けた金額は値引き部分であると反論した。
原告は貸倒処分したが、後日債務の返済を受けた他の案件については、原告は返済を受けた年の収入として計算した。事実関係は、債務者が事業をやめ追跡したが会えなかった又は死亡した又は収監された又は店が火事になったということである。債務者は返済させるため、まだ財産があるということは明らかでない。債務者の多くは他県におり催促するため追跡し、次に財産を調査するためには、当然経費を支払わなければならないし、困難である。前述のいろいろな状況のとき、債務者が債務の返済をすることができないし、いくつかの債務の金額は何千バーツもせず訴訟に関して弁護士を雇うときの経費に値しないということを示している。被告は、販売部門の従業員が取締役が貸倒処分を命じるようにお願いする報告になったいろいろな理由が、事実ではないという反論はしていない。
それゆえ、取締役が販売部門の従業員に何回も債務者を追跡し催促した後及び高額の債権については弁護士に催促させたが返済を受けなかった場合に、債権勘定から貸倒処分をするときこれらを判断に使うことは当然債権の返済を受けるために適切に行ったとみなすことができる。国税法の規定に適合していることから債権勘定から貸倒処分をすることができる。被告の説明に従って最後まで控訴する必要性はない。なぜなら法律は適切に行うことを規定しているだけである。この項目の税務裁判所の判決は法に適合している。被告の控訴は却下された。
債権回収方法が説明してあり日本と変わらないと思うが、貸倒の計上時期の取り扱いが国により違いがあると思う。現在の省令を日本と比較するとタイの方が貸倒処分については厳格であるが、逆により貸倒要件が明確であると思う。回収作業についての報告書や証拠となる裁判関係の書類を残しておくことは言うまでもない。
[23]棚卸商品の評価
(最高裁の判決4012/仏暦2536西暦1993原告は法人、被告は国税局)棚卸商品が減価する資産で原価の15%の市場価格であるとき、原価より低い市場価格に従って、会計期間の終了の日における棚卸商品の評価は、65条の2(6)の条件に従って行われる。
解説
コメント
「
[24]支払うときに控除した税はどの会計期間の法人税から税額控除しなければならないか
(最高裁の判決4924/仏暦2533西暦1987原告は法人、被告は国税局)原告は、外国で原告の商品を販売する代理人を捜すこと、原告の従業員の訓練をすること、低い利率の借入れ場所を捜すことに関する管理業務について、a会社からアドバイス受けた。従ってa会社に対してサービス料を支払わなければならないと主張した。しかし、原告の証言や裁判所に提出した書類によると、a会社にどのような費用として支払ったか全くわからないかもしれない。これだけでなく、原告が例証したサービス料は、外国の会社でありタイでは事業を行っていないa会社が仕事を受けたことによる所得であり、課税すべきである。所得を支払うとき、原告は前述の所得から税(源泉税)を控除しなければならない。しかし、原告が支払うとき、どのように税を控除したか明らかではない。これらのことは、お金はa会社のサービス料ではないということを支持し、また原告の事業のサービス料としてa会社に支払ったお金であるという原告の主張を受け入れられない。それに特に原告の利益のため又は事業のための支出ではないし、特にタイでの事業のための支払でもない。利益を計算するとき損金とみなされない。
解説
コメント
A原告は2515年に税額控除(法人税の前払)すべきであったのに、2516年の法人税から税額控除した。従って2516年の法人税について、税額控除した金額に相当する法人税、同時に延滞税も支払うように判決があった。課税係官は支払金額から控除税額を控除した残額のみを損金として計算した。
B否認されたサービス料の内容については、「外国における仕事の事務所経費、タイにある原告の事務所と何も関係がないとすべき税金、電気代、暖房費である。提出された書類を読んでも何のサービスかわからない。たとえ原告が例として証言した人的損害保険料であっても、いかなる点で原告のためのサービス料であるのか詳細がないとされた。」具体的にどのような書類を提出したのかわかりませんが、事務所経費を請求額を計算するときの基の一部に使っただけなのかもしれません。特に当事者間の価格の決定の方法が慣例とは違った方法を使う場合には、第三者が請求書等を見て、この支払が何の支払なのかより明瞭にしておかなければならない。(的外れなことを言っているかもしれない)
C控訴税務審議委員会の判決ということで、216,391.09バーツと196,719.08バーツという数字が出てきて戸惑いましたが、前者は延滞税を含めた金額、後者は延滞税を含めない金額です。
[25]課税係官の調査に会計帳簿を提示しなかった場合の課税
(最高裁の判決1283/仏暦2526西暦1980原告は法人、被告は国税局) 国税法83条の3は、事業場又は他の場所(もし他の場所で保存するならば事業者が書面で前もって課税係官に知らせる)で、事業者に会計帳簿及び書類を保存させることを規定している。原告が会計帳簿及び書類を事業場ではなく他の場所で保存し、83条の3で規定されているように書面で前もって知らせていないことは、83条の3の規定に故意に違反しており、92条に従って間違いであるとみなされる。
法律に従って義務のある原告は、自己の事業場で会計帳簿及び書類を保存しなければならないが、会計帳簿及び書類を原告の事業場でなく他の場所で保存したことにより法律に違反した。その後、会計帳簿及び書類を燃やしてしまった。原告は事業場で会計帳簿及び書類を保存しなかった者であり、会計帳簿及び書類が焼失したという理由を、法律違反をしたことを原因として焼失したので、原告は召喚状に従って課税係官の調査に会計帳簿及び書類を提出できない理由として主張することはできないとすべきである。課税係官は、当然71条の(1)の規定に従って支出を控除する前の売上高の2%以内で原告の法人税を課税する権限がある。
解説
コメント
A事業場と事務所の違い
事業場には事務所は含まれていない解説だったが、
B83条の3は、現在の87/3にあたると思われる。92条は削除されている。
C法律にないから課税されない(例えば頭のいい人は抜け道をうまく捜す)とか、法律があるからこの程度の税負担で済む(例えば株の源泉分離課税制度、どんなに利益が上がっていても譲渡対価の5.25%)とか、課税されないようになにげなく法律を作る(例えば銀行等の救済のため貸倒要件の緩和、欠損金の引継ぎ控除)とか。細部まで法律により規定されると息の詰まる社会になってしまうし、かといって法律のない世界、機能しない世界も権力者によりどうにでもなってしまうので怖いし。モラルで判断といっても人によって基準が違うし。結局法律をうまく使えず、利益を享受できないひがみだが。それにしても、法律法律と理由もなく先にいわれると法律アレルギーになってしまいそうだ。それでも、法律に関する翻訳をしている自分がいる。
ホームへ