『鳥インフルエンザ問題の今後(\)』



浅田農産事件の論告求刑を見るとき、鳥インフルエンザ問題は、もはや家畜伝染病予防の範囲を越えて直接公衆衛生への脅威と捉え、呵責のない論告を加えている点で、養鶏業界側も単なる鶏の疾病予防としてだけでなく、本当に生死を賭けた対策が必要となると感じる。さりとて感染を防ぐ具体的手段を持たない今、どのようなコンセンサスが必要なのかなかなか考えが及ばない。一方の政府行政側も、公衆衛生の危機に対処する意味でのOIEなどの勧告等を無視して、手をこまぬいているのであれば、今後の展開次第では通報遅れの浅田農産に対するのとは比較にならない非難をあびて糾弾されて当然だと思う。 浅田農産の例で、廃鶏処分を商品の出荷と見なす検察側の主張は、とうとう覆らなかった。業界を指導する研究者もその考えを支持し、そしてそれが世論となった。

繰り返し云うように日常のローテーション作業である廃鶏処分が病気発生と重なる危険は飼養現場では常に存在する。あえて李下に冠を正すことを避けようとすれば、企業養鶏は成り立たなくなる。その辺の理解は得て置く必要がどうしてもある。

実際は業界人の立場からは被告浅田社長に同情を禁じ得ない人のほうが多いだろう。永い間、我々は鶏の病気には包丁が一番良く効くと教えられて来た。近代ではその包丁こそが廃鶏処理業者であった。鶏が病気に掛かったら、薬などで治そうとせず廃鶏として処分しろと、行政も含め、その考えをたたき込まれて来たのだ。
いわゆる鳥飼いにとっては咄嗟の場合、家畜伝染病予防法の趣旨精神よりは、そっちのほうが心理的に優先しかねない。予防法の云わんとするところは理屈では分かっても、いざ自分がやられたらどうするのか浅田農産がやられた時点で、決めていた人がどの位いたろうか。

届け出は当然の義務だとしても、そのことがどのくらいの影響を周囲に及ぼすのか、その地方の生産物の消費はどうなるのか、それによる経済的損失がどれくらいなのか、その補償がどの程度なのか、自分の所だけでは済まないだけに逡巡するだけでも直ぐ時間が経ってしまいそうだった。このことは恐らく府県段階でも同じで、戦前のように中央集権で、事あるごとに地方畜産主任官会議で意志の疎通を図った時代と違い、余程の法的規制がなければ個々の事例での、各地方の合意を得るのは困難だったろう。(大分のチャボでは非難が殺到したとか、逆に表彰したとか混乱振りをまざまざと示した)

浅田農産の論告求刑の趣旨「犯行は狡猾、情状酌量の余地はない」を見て、尤もだと思う業界人が果たしているだろうか。具体的な対策を何一つ打ち出せないまま、浅田農産を徹底的に悪者にして一件落着を図ったとも見える我が国の鳥インフルエンザ問題は、外国の研究者の指摘するとおり、今後一層深刻の度合いを増すことは想像に難くない。

ワクチンを持たない飼養現場の我々は、いわゆる競合排除法とかT細胞による細胞性免疫に期待するよりない。わが家でも競合排除用のワクチンとして、腸管でも繁殖すると云うアビワクチン(ND承認済み)をNBIにお願いしてB1に代えることにしている。

そしてこの冬、カプア博士達の云われる通りならば、存在するかもしれぬH5亜型などのLPAIがイタリアの場合のように強毒化して本格的に流行する危険を常に覚悟して置かねばならない。NDと違い、変異して強毒化するAIに対しては抗体の有無も競合排除も怪しいものだが、たとえ姑息な手段でも許されるものは試してみる積もりである。OIEやFAOの勧告でもワクチン以外の有効な対策は打ち出して来ないのだから。