『鳥インフルエンザ問題の今後(X)』



鳥インフルエンザに関するこまごました情報に一々耳目をそばだてる気はないが、それでも斯界の権威者たちの発言は軽口といえども聞き捨てならないこともある。それに気になるのは、このところの所謂、自然養鶏と称する形態とウインドレス方式の対立の構図である。特にそのどちらかが引き金になり、もう一方が被害者になり得るとするような取り上げ方はアンフェアーだと感じる。其の点、前出、北海道での喜田教授も、その両者等しく感染の危険があることを説明されている。某ホームページの紹介文によれば同氏の発言として「放し飼い自然養鶏と徹底的に消毒したウインドレス鶏舎養鶏、感染リスクは同じ。逆にウインドレス鶏舎は新たな耐性菌を作り出す危険性が大きい。要するにトリが健康であることが一番の予防である。放し飼い、自然養鶏大いにやってください」とある。

まあ場所柄軽口半分の部分も分かる。しかし一方でその道の権威者の発言となれば、一言一句聞き漏らすまいとする部分もある。ここで問題なのは(ウインドレスが新たな耐性菌を作り出す)という部分である。いくら何でもウインドレス採卵舎で抗生物質、抗菌剤を使って居るところはあるまい。自然養鶏仲間で唯一許せないのは「うちは抗菌剤の類いは使って居ません」という主張である。そんなもの、どこでも使って居ない。薬事法がなくっても、そんなものが検出されたら一巻の終わりだ。この喜田発言が事実なら、ウインドレス成鶏舎での抗生物質使用を認めたことになる。ま、その辺のことは企業養鶏家に任せよう。

ウイルスの話が耐性菌に脱線したらしいが、ウイルスに戻って真面目に考えると、現場を続けてきた私自身は、健全な卵を生産するには鶏が健康であることが絶対条件だが、ことウイルスに対しては、抗体の有無が全てで、鶏の健康など、私の経験ではニューカッスルの初発時、一ケ4000円の血統書付き種卵から家内の母乳を飲まして育てた大切な鶏の無残な姿を思い浮かべたとき、後のワクチンの有り難さがしみじみ分かろうというもの。タイ、ベトナムでも老人より屈強の若者のほうがやられた事実をみてもうなずけることである。その後、非特異反応で種鶏としては全ての鶏を失うことがあったが、人間を含めあらゆる生物が生存を続けるためには交差するさまざまな免疫(非特異免疫)の大切さを逆に学ばされた。だから交差免疫への期待も一入であるといえる。

ウインドレス鶏舎に収容する鶏は通常、生ワクのスプレーなど反応が起きるほどの強いワクチネーションはやらないし一年足らずの短命だ。従って強い免疫抗体は持って居ないので、入って来た弱毒株が短期間に強毒に変化することは考えられない(25経代もかければ別)。変異しやすいウイルスは抵抗勢力があるとそれを迂回しようとして変異する、だからワクチンは危険だするのが反対論の一つにある。その勢力がウインドレスにはほとんど無い。だから弱毒も強毒もストレートに発症する。韓国のものなら、そのままの形だ。今度の例もそれを裏付けているそうである。 

そこへいくと野外の鶏は嫌でも色々フィードバックされて居る。しかしさまざまな非特異抗体自体はそんなに強いものではないから、今度のH5N1みたいな強力な相手には、それが交差免疫であっても免疫干渉であっても、それなりに強力な特異免疫が必要である。それが鳥インフルエンザワクチンなのだが、当分許可されそうにない。だから現場としては野外の弱毒株に期待したり強力な基礎免疫で誘導しようとしたりする。それ自体は侵入して来るウイルスの抵抗勢力で即、変異を促しかねないが、その際は弱毒への置き換え効果により鶏への毒性は減ずる。そしてヒト型への変異の危険性は、野外の既存の塩基配列だけが違うヒト型と共通のウイルスとの合体の方がワクチンの場合よりはるかに大きいと思うのだが。