『浅田農産を悪者にして一件落着か』



とうとう浅田農産だけを悪者にして一件落着した形だ。亡くなった浅田会長の心情に触れて、分かる気がするとしたのは某哲学者だけで、其の彼も事情が分からぬまま廃鶏出しを、大槻教授とおなじカネもうけと捕らえながら、尚且つ理解を示して居た。産まなくなった鶏を廃鶏として処分するのがカネもうけでないことは鶏飼いなら誰でも心得て居る。そして恐らく、その誰もが、自分の出す鶏にどんな微生物が付いているか、平生気にする人は居なかった。ハセップがどうの何がこうのというこれからは、そうはいくまいが、ほとんどが、見えざるもの清しの感覚で来たのではないか。それでも皆、自然の摂理の中で、教えられ受け継いで来た安全は保って来た筈で、卵の安全性を調べるのに実験室でサルモネラを黄身に注射するなど思いも及ばぬ事だった。
浅田農産の報告遅れを学者達が先に立って、そのことが国民を危機に陥れたような騒ぎ方をした割りには、同時発生で由来ははっきりしないブロイラー農場1件だけで、実際には鶏病としての広がりは、少なく共表面上は見せなかった。この原因はバイオセキュリティの強化の他に、やはり抵抗勢力(抗体)の存在にあったと思う。
何度も指摘して来たように、人と共通する豚のH1,H3型の抗体分布が野生の猪を含め80%以上におよび、既に我が国の環境は広く汚染されている事実を示して居る時、その中にある鶏が例外で有る筈はない。この事は大分のチャボの時、既に感じたと記した。解放鶏舎の鶏は常に外界のウイルスに暴露されていて、特別破綻しない限り、基礎免疫、追加のスプレー、自然のウイルスとの間で嫌でもフィードバックされ、いろいろな抗体を持って居る。これが侵入して来た新しいH5のウイルスに有効に働くことは、南中国の例が示して居るが、そのまま迂回して居座る相手に息切れしてしまう。そこで人為的にワクチン接種が必要になる訳である。また外界と遮断されたウインドレス鶏舎では、自然の免疫を期待出来ないまま1年で更新されてしまう。つまりウイルスに入られたら終わりである。だからこちらも開放型以上にワクチンが必要だと思う。
局所の免疫の重要性は2001年のNBIシンポジュームでMgワクチンを例に取って講演されている。ただ現場で誤解されるのは、ワクチンスプレーにより野外の細菌が増強され、返ってウイルス病を誘発したり、重篤になったりする例が実験室内でおこることであるが、基礎免疫がきちんとあれば、私たちの体験では野外でバランスをくずした例はなく、むしろそれを危険視して、普段のNDLVスプレーを省いて、逆にニューカッスルにやられている国の例の方が多い。
日本の学者がどう云おうとメキシコのワクチンは成功例に間違いはない。一番懸念された、日本に侵入したH5N1の人への影響が払拭され(東南アジアなどの同型はSARSなどとの リアソータントの疑いもあるとか、同じでなくてよかった)対策が鶏に絞れるのは有り難い。人型への変異に付いては、ワクチン以前の既存のウイルスの影響のほうが大きく、その実態を隠してワクチンのみの危険を煽るなど以っての外と云う以外ない。
事実1976年アメリカ.ニュージャージーの豚型H1N1流行ではパンデミクスの再来が予想されたこともあるという(CDC)。
学者達もワクチン反対に明け暮れるより、必要な野外ウイルスの調査やサーベイランスを怠らないようにして貰いたいものだ。

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