養鶏を始めた頃、当時日本配合飼料研究室長の西川哲三郎博士(昭和35年アメリカ型の低タンパク高カロリーのニューマッシュを作り、以来日本の卵は不味くなったと、私の卵作りの原点にした家畜栄養学者)が事有るごとに、馴致という考え方を説いた。喜田教授のウイルスと仲良くする(NHKニュース10)という云い方もそれに入ると思う。今はもともとは電気関係用語のフィードバックという英語に置き換えられて、疾病対策の技術としても知られて居る。 その家畜飼養と疾病予防の大本の理念とも云うべき馴致と云う考え方が、言葉ともども養鶏界から消え去ったのは、ウインドレス鶏舎が普及してからである。ニューカッスル病の後、マレック氏病(リンパ腫症)に悩まされた養鶏界は、鶏舎の消毒、成鳥とヒナの分離、オールインオールアウトと対策を進めたが、新鶏舎病と云う言葉が生まれるほど、返ってひどくなった。この時、逆に育雛舎を解放して、周囲を耐過した老鶏で取り囲み暴露したわが家はあまり被害を受けなかった。その後、マレックワクチンが登場し、育成分離の結果、育成業が発達、ウインドレス鶏舎の普及で、外部環境との隔絶が可能になり、育成段階でのワクチネーションプログラムも確立して、以後20数年疾病に悩まされることなく、ただ卵、肉価対策に明け暮れて来た養鶏業界だったが、皮肉なことに、たまたま従来のやり方でマレック被害を受けなかったわが家はその後、一人取り残されることになる。そこで仕方なしに従来のアナログ技術に固執した経営を続けて来た訳である。 我が国の鶏飼養形態の主流はウインドレスであり、今度のAI対策も当然それに最も効果がある方向でなくてはならない。ワクチンを使う場合は育成時のプログラムに組み込む以外ないとするのはそれ故である。 外界との隔絶が有る程度可能と考えるウインドレス形態と解放鶏舎では情報の取り方の段階でもう異なって来る。開放型では環境が違い過ぎて実験室のそれはほとんど役に立たない。SPFという実験室の設定は野外では有り得ないからである。 ただウインドレスは有る程度外部との遮断が可能だと現場を知らない学者たちが観念的に捕らえて、したり顔で指導されると、一番の弱点のネズミを見落とすことにもなる。問診の出来ない獣医は殊更、現場を熟知しなければならない筈である。 情報があれば何でも引っ張って来て吟味する我々現場と違って、それぞれが専門の学者達の視野は極端に狭く、それをそのまま比較検証せずに国の方針として受け入れる危険はさけなければならないと思う。 ProMEDによる数日前のNewScientistの情報では、1995年メキシコに発生したH5N2.HPAIを、ワクチンによる防圧に失敗した結果、現在までLPAIが残り、ワクチン接種を続けざるを得ず、同じ意味でアジアに流行するH5N1にワクチンを投与すると不顕性感染の循環が持続し(中略)新型ウイルス発生の危険性が増すという喜田教授の自説と同じ物を取り上げて居るが、そのことは、改めてH5N1だけの問題ではなく、H1N1,H3N2についても、新しい変異によるパンデミックスがアメリカなど各国の研究者からその懸念が発せられて居るとき、殊更ワクチンによるHPAI撲滅の成功例とされるメキシコだけを標的として論じて居るところにうさん臭さを感じるのである。 我が国の鶏界にとってHPAIをワクチンによって防圧しLPAIの発症を引き続きワクチネーションで防いで居るメキシコは範とすべきであることは疑いない。そして人型への変異の危険性は、歴史的にみても人為的なワクチン接種よりむしろ数多い野外のウイルス同士の干渉によるものであり、(これこそが喜田理論に欠落した部分である)あらゆる型に共通した問題である。繰り返すように、それをH5N1に極限して殊更危険視するところにも恣意的な意図を最初から感じたし、自然界でのウイルス同士の交差免疫や干渉作用の研究なくしては実際の防御も不可能だと感じてもきたのである。 そして、本来そのように部分的にとらえたり予測したり出来ない所がインフルエンザは人獣共に究極の感染症と云われる所以であろう。 さて馴致の考え方を解放鶏舎にもどって考えるとこれが昔通りに行かないことにぶつかる。肝心の日本の消費者が、その体質だけでなく精神構造まで馴致にはほど遠くなってしまって居るのだ 。その自然志向は流行ものの範囲を出ないことははっきりして居る。そんな中で、環境を含めた人為的な危険と、自然界にあふれて居る危険から鶏を守り、安全な生産物を消費者に納得して貰って届けることは大変なことなのだ。 H 16 3 30 I,S |