養豚に学ぶこと



今度の鹿児島の養豚業者が豚コレラ未承認ワクチンを無許可で接種した話でも、我が国が世界に誇る生ワクチンを開発使用して、ほぼ制圧したとする豚コレラでさえ、全国的に見れば未だ予防法50条の規定のもとにワクチンを使わざるを得ない地方が有る訳だし、世界的に見てもイギリスのように完全撲滅のつもりが、にわかの発生で緊急対策を迫られるなど、世界が小さくなった今、一国だけのそのような主張は最早無意味である。

一見すれば鹿児島のように銘柄豚の盛んな県こそ万一に備えてワクチン接種が必要と思われるのに、むしろ業者側が外圧に対抗する為、清浄県を主張する傾向があり、そのことがワクチン本来の安全性に疑いを持たせる結果にもつながって居ることも反省すべきである。にもかかわらず、ワクチン接種即汚染とするような短絡的説明が相変わらず専門家と称する人達の口から出て、一般消費者を惑わす形、つまり、予め体内に免疫力を付けて置く生物製剤と抗菌剤を混同するような混乱を消費者に植え付ける結果となって居る。それだけでなくむしろそれを助長してトリインフルエンザワクチン反対論に消費者まで巻き込もうとする意図さえ窺われる始末である。

畜産業もここ10年、20年の間に大きく成長しインテグレーターによる全国に跨がる経営も少なくなく、昨年末にも養豚大手業者のPRRS(豚繁殖・呼吸障害症候群)ワクチン接種問題もあり、一県一県の対応でカバー出来る筈もなく、このことは国対世界の場合にも云えることである。

トリインフルエンザに話を戻せば、殺処分でその撲滅を図る方向は20年も前に出されたもので時代遅れも甚だしく、特に我が国のように高密度の大型経営が主流の場合は尚更である。養豚の場合はインフルエンザを含め10数種類の民需ワクチンが使われ、前記PRRSのように20種類のセロタイプがあるとされながら、その後認可されたワクチンは安定的効果が得られるとされ、何時迄も単一血清型の豚コレラワクチンと交差免疫の否定、一種類の疾病だけにこだわる意味のない清浄国論をともに捨てないと、世界の趨勢から遅れるばかりか、我が国の養鶏は消滅しかねない。

セロタイプ(血清型)が一種類の豚コレラウイルスでさえRNAタイプで変異するという。自然界にはGPワクチン(豚コレラ生ワクチン)と同じEND−のウイルスも出現したという。いつまでもゼロ戦が通用するとは限らない。交差免疫を頭から否定していては、ワクチンがあっても使えないことになる。喜田教授は、世界的に研究の進んだNの交差免疫も否定したままだ。生兵法は大怪我の元とは知りつつも、世界の趨勢は手に取るように分かる時代だ。養鶏の現場も利口ぶる必要はないが無知では居られない。国のごまかしで犠牲になるのだけは御免こうむる。

おかしな話をするようだが、昔、家衛試に通った頃は病気に関しては現場は鶏関係のほうが進んで居ると云われたが今は養豚の足元にも及ばない。太平楽を決め込んで居た養鶏に比べて養豚は、豚コレラ、オーエスキー、口蹄疫、それにPRRSと次々難題を抱えた。去年は子豚の育成が悪かったがPRRSのワクチン認可とマイコ、それに場所によってはスワインflu(ブタインフルエンザ)ワクチンを組み込んで、解決したと云う。その成功の元はやはりワクチネーションである。それが民需でない家畜伝染病予防法50条の規定に縛られた豚コレラワクチンと、もともとはあまり意味のない清浄国主張のはざまに落ちた結果、またしても罪のない1350頭 の豚を疑似患畜の名のもとに殺すはめになったことは同じ生き物飼いとして、やりきれない思いである。

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