NBIからのインフルエンザに関する資料を頂いて




館沢 部長様 貴酬 H 16 1 21

資料お送り頂き有り難うございました。昨夜は徹夜で目を通し、直接フィールドで参考にし尚且つ応用出来る技術がないか懸命に探りました。私も親父が明治44年に月俸40円で牛疫血清製造所に入り以後地方に転出して現場を歩いて居た関係で、最初から「あ、畜産の三虎の息子か」といろいろ教えてもらいましたが、昭和50年、鶏は静かに飼うべかりけりということで以後文字通り門外不出でやっております。

さて今回のAI騒ぎでは資料不足もあり息子に加担して陽動作戦を展開、逆に情報を集めて参りました。息子たちは小さな養鶏ですが約4000人の顧客を抱え、知らしむべしとの方針で、此の期に及んでもお前のところは信用してるぞと云われるらしく責任の取れる範囲に苦慮しています。

さて貴資料中、(粘膜免疫の重要性)は生ワク使用の応用技術について、また現場の情報では(イタリアの経験)が特に目を引きました。これは重要な示唆です。私どもではND,IBの体験しかありませんが応用出来そうなものが幾つか有ります。これらは当時、研究者と論争したり場合によっては反対をおして試みた事が多く殊に現在では禁じられて実施不可能なこともありますが(だまって埋ける)犯罪行為よりはましです。

日本ではNDの後IBが流行りました。イタリアで強毒AIの後NDが流行したのと同じです。そのとき私は家衛試をやめて製薬会社にいた椿原先生に電話しました。「先生、NDの生ワクを繰り返しスプレーした群からはIBが出ませんよ。NDとIBの免疫交差なんて考えられますか」無論否定されました。しかしND猖獗時に不活化ワクチンが効かず、移行抗体くらいでは雛が2週間目にもうやられる状態でしたから初生雛にいきなりスプレーする以外になかったのです。そしてそんなやりかたを認める研究者など居ませんでした。

しかしその現場の知恵は残りました。IBの各型の免疫交差についたは最初のマサチュセッツとコネチカットに対する独自の野外試験で確信をもち、今の喜田先生の説などにもフィールドから否定しました。以来絶対の自信をもってコンビMを使い続けて居たら、1977年どういうわけか品切れになったそれを懸命に探して手に入れスプレーしたところ見事にEDSに第一号でやられました。それで急遽日生研の混合ワクチンに切り替えて現在にいたっていますが学界でどう云おうとIBの型の違いに関しては意に介して居ません。

尤もその後、製薬会社にすすめられて、薄い希釈ワクチンを散霧でハーダー腺に付けるということでしたが自家での攻撃試験でまったく効果ありませんでした。その辺のことも貴資料は参考になります。

点眼という手法はまるで手数のわりに馬鹿にしていましたがそれについても勉強になりました。その粘膜免疫の大切さについては交差免疫にとどまらず(学者、研究者だとその辺で、ああでもこうでもとなって先に進まない。)ウイルス生ワクチンの相互干渉作用にまで踏み込まなければ、現場での防御はおぼつかなかったのです。

そこでお山の大将方式、つまり「お山の大将俺ひとり後から来る者突き落とせ(童謡の文句から)」をなにかの生ワクでやろうとしたのです。その為の最適のワクチンはなにか。そんなやり方を学者も研究者も認めるはずはありません。メーカーからも嫌がられました「そんな抹茶椀で酒を飲むようなことをするな。ワクチンとしての使い方をしてくれ」と。そんなことで行政にも県あたりの試験場にもすっかり嫌われました。場長、県養鶏係、すっかりアウトローあつかいでした。

しかし野外では防疫上他へ危険を及ぼさないかぎり学者より一歩さきに出て試行錯誤を繰り返さないと実際は一歩も進まないのです。ただの文献屋ではフィールドでは役に立たなかったのです。でも現場がそんな考えで行動した時代はとっくに終わりました。第一、いちいち法に触れます。危険を察知して真っ先に逃げるよりありません。頂いた貴重な資料も現場で役立てようとして見るのでなければ只の文献でしかありません。文献屋ではいけないとした所以です。とりあえず繰り返し厚く御礼申しあげます 。 敬具

東松山市 東平1709 篠原 一郎