A農産の事、 16・3・15



村社会の日本ではトリインフルエンザの問題も結局は人間に影響しない限り、もみ消し、もみ消しで結局は泰山鳴動して鼠一匹、そのうち沈静化するだろうと、A農産の悲劇が起こるまでは、内心ではむしろそう考えていた。経済動物のなかで鶏は、病気に掛かったら出刃包丁が一番と云われ続けて来た。つまり廃鶏処分である。今のように卵価安が続き、餌屋が餌を止めても同じことが起き、忽ち鶏舎は空になる。トリインフルエンザが人畜共通病として我が国で捕らえられていた訳でなく、私は殊更従業員の安全を強調してきたが、まだその視点はまるでなかった。そのなかで、鶏が異常な死に方を始めたとき、とっさに出刃包丁の思いが優先した心理状態は痛いほど分かる。鶏飼いにとって鶏の病気程恐ろしいものはない。A会長の様に経験の古い者程そうである。頭の中が真っ白になった会長が「感染しないうち廃鶏に出せ」と下知し、もし処理可能な処理場が手配できれば「病気に掛かって無い鳥は全部持ってってくれ」というのも当然、その廃鶏にウイルスが付いているかも知れないと思い返すのは、頭が正常に戻ってからだろう。処理場側としても発症していなければ分かるはずは無い。そして発症した分だけ農場で処理されれば大型鶏舎が空になるくらい訳は無い。病鶏を出荷したと非難されたが、お金になる出荷ではなく、お金を出す処分である。永年の習慣と染み付いた考え、A会長のとっさの判断を、鳥飼の立場で簡単に非難出来るものではなく、我が身に置き換えて慄然としたものである。

それにしてもお気の毒なのは会長夫人である。乃木大将の静子夫人ではないのだから「私は嫌ですよ」と云って欲しかった。わが家でも同じことが言えるだけに永年ワンマン亭主に引きずられて苦労して来た揚げ句がそれでは本当にやりきれない。「俺がそうなったら、その前にお前は離婚だぞ」と70の老妻に言ったが敵もさるもの「あんたと心中なんて嫌なこと」でむしろ安心したが、とにかく直ぐ真似したがる最近の日本人の事、第二、第三の悲劇が起こらないようにしなければならぬが、やられたら最後、どっちみち助からぬならと、同じケースが続くことも考えねばならない。その時は親父は仕方ない、おっかあだけは逃がそうぜ、を合言葉にせねばなるまい。何れにしても鶏と心中しかねない精神状態の鳥飼がまだ残っていて、とっさの判断では永年染み付いた観念に引きずられ兼ねないことは、良く注意する必要がある。これは公徳心とは別のもので、言わば鳥飼の本能に近く、行政の人間や学者連中には分かるまい。尤もそんなことが分かる連中なら、とっととFAOの勧告に従って、馬の時のように、ワクチンを緊急輸入して既成の育成プログラムに組み込んで、今頃は皆が安心して鶏を飼う見通しを持たせ、消費者も落ち着くようにした思う。やはり競馬馬のように政府の利害に直接関係あるとか河野農相のように自分も馬を持って居るような実力者がいないと駄目なのか。行政も行政なら学者はもっとひどく、大槻さんのように過去の講演で「既に日本には渡り鳥がH5型を持ち込んで居る。発症しないのは僥倖に過ぎない」と明言している人が、今、清浄国の旗振りをしている事実。それやこれやで全く信用出来ない輩が先導しての19日の意見交換会の結果がまた思いやられる。出席者はまた騙されないようにして貰いたいものだ。

繰り返すように今の見せかけの備蓄ワクチンに沿っての議論でワクチンに賛成することは連中の術中に陥る危険が大である。ワクチン賛成は育成プログラムに組み込み、環境中のウイルスを削減するというFAOなどの推奨する大目的以外、リング状の使用などの、見え透いた提案には絶対乗ってはならない。本当に危険である。

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