カラスより深刻なネズミを何故無視するのか
共同通信2004/2/19記事より



山口県で鶏から見つかった鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)は、病原性は弱いもののマウスにも感染し、同じほ乳類である人間に対して感染力を持つ可能性があることが、動物衛生研究所の実験で19日までに分かった。ウイルスの遺伝子はすべて鳥から来たものであることが分かっているが、同研究所は「マウスへの感染が確認されたことで、人への感染性は否定できない」としている。同研究所によると、山口県のウイルスもマウスに感染することを確認した。しかし、香港のウイルスと比べると、致死性は約50万分の1で病原性は弱かった。山口県では人への感染は起きなかったが、これは鶏と密接に接触する機会が少なかったため、と見られている。

この国の研究機関による最大級の警告が出て以来、、政府やそれを主導する学者達がどう反応するか注視して来た。またあまりにも重大な事実に自らそれを口にすることも憚られてきた。この報告はいの一番に政府と委員会に届いた筈である。ところがこの共同通信の記事以外に、この報道は目にしなかった。悪く云えば握り潰されたのである。

そこへきて今度のカラス騒ぎである。呆れ返って、今朝のラジオ番組で大槻、喜田教授たちは皆国賊だと絶叫してしまった。自分達の予算のつかぬ方向には一切動こうとせず、鳥が関係すると、とたんに国民の目をそちらに向けようとする、そうとしか思えないではないか。それはカラスの汚染も環境的に重大かも知れないが養鶏場の立場からは入り込まないように防ぐ手段はある。しかしネズミの侵入を防ぐことは不可能だ、人家への出入りも同様、人間にとっても鳥類と、受容体が確認された哺乳類であるネズミの保毒による危険度は比較にならない筈だ。学者だったら係数的に出して貰いたい。もう風聞をどうのこうのと云う段階ではない、明らかな政府、学者による危険極まる情報操作だ。それなのに一斉にカラスを追いかけるマスコミは、いったい何なのだ。本当に日本は危ない。もしくは私一人の頭が狂っているかだ。

今の学者達は予算の付く方にしか動かない、あれは国賊だ、政府も同罪だ。として、さすがに少し言い過ぎたかなと反省したけれど、もいちど、共同通信の記事を読み返して、その後の彼らの対応をみたとき改めてやっぱり国賊だと思いましたよ。これだから太平洋戦争だって起きただって。こんな危険を看過して、一番怪しいネズミのネの字も云わず、カラスからウイルスが出たことを、これ幸いとばかり追いかけさせる、恣意的すぎると考えませんか。さもなくば繰り返すように私一人の頭が狂っているのでしょう。

養鶏場周辺の人畜共通の環境汚染は通常、鶏舎人家に出入りが自由であるネズミによってもたらされることはサルモネラでも知られて居ます。ブロイラー養鶏場の場合も消去法でいってもネズミが最後まで残る筈です。鳥学者で駄目ならネズミ学者も加えるべきだ、と云った所以です。鳥学者故に予算のつく自分の研究対象以外は危険を無視して国全体をそちらへ引き込もうとする行為に見えるのは私だけですか。サイト仲間から過激なぺージとみられるけれど、トリインフルエンザ問題には直接14名の場員の命運がかかり、こんな政府の対応の仕方では国民の命も危うくなると思うと、ひとりよがりであっても過激にならざるを得ないのですよ。

もいちど云いますがカラスなら鶏舎に網を張ればよく、直接人間の家には入って来ないがネズミだともはやお手上げで、人への危険性も比較にならず本当に事態はそこまで来てしまっていることをはっきり認識すべきなのです。そんなこと百も承知の学者達が忍者そのままに、対策のありそうな、あらぬ方向に国民を誘導する。これが国賊でなくて何ですか。

環境衛生といえば、大量の鶏の死骸をビニールで覆って埋めることも、環境衛生学的に考えるとおかしな処理の仕方で将来にむしろ禍根を残すことはその専門家なら、とっくに分かって居るはずです。
A農産程の規模になるとネズミは何千匹と居ます。これはネズミ専門家に聞いて下さい。それらはレセプターを持っていることは証明されているのでほとんどすべて保毒していると考えるべきで病原性がウイルス2ケで発病するという香港型に比べると50万分の1と発表された日本型はキャリアとしてはずっと危険なはずで、こんな大事なことを国民に隠してまで、自分達の研究に不都合なワクチン使用に反対を続けるのですか。

FAOなどの云うとおり、環境中のウイルス量を減らすのが、ワクチン使用の最大の目的です。そのことから云えば、前記、動物衛研の実験結果が出たとき、すぐそうすべきだったのです。カラスよりずっと環境的に人間に近い、しかも鶏舎と云わず人家と云わず、自由に出入りして防ぐことが出来ないネズミが保毒するやっかいさはカラスとは比較になりません。一刻も猶予は出来ない筈ですよ。本当に危険なことを危険として国民に知らせることがむしろそれ以上の危険から彼らを救うことになるはずです 。
失業を目前にした息子達とともに、腑に落ちない政府、学者の対応ととことん争う準備はできています。宇治平等院の源三位頼政の辞世ではないが「埋もれ木の花咲くこともなかりしに、身のなる果てぞ、あわれなりける」です。尤も、今更そんなにしょっちゃあいませんが。

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