日本農業新聞 『浮上するワクチン論議』を読んで



我が国のトリインフルエンザ問題を主導する研究者達の研究方向と相反することで、タブー視されて来た感じのワクチン問題が初めて3月6日付の日本農業新聞紙上で展開されました。こういうふうに具体的に内容まで踏み込まないと議論にもならず、これは大進歩です。早速検証して見ます。

まず業界団体がトリワクチンの早期使用を要求したことに対しては、要求自体が養鶏家の無知によるものとするような喜田委員長の談話がラジオで放送され、農水省も殺処分が大原則として、その方針を変えていません。新聞記事には「ワクチン接種の有無による違い」として「ワクチン接種した鶏は発症しないので感染が分からない、微量だがウイルスを排出し新たな感染源になる」「ワクチン無しの鶏は発症するので分かる。抗体の有無で発見できるので摘発淘汰で蔓延防止が出来る」と図入りで解説しています。基本的にこれが学者達の主張であり農水省の方針です。これが現在の我が国の状況にどの位ずれてしまっているか反論します。

もはやアジア全体の問題として、当面の絶滅は困難、各国が協力してワクチンによって環境中のウイルス量を減らして行くことが必要というのがFAOなど三機関の勧告なのに日本はこれを無視しています。そのワクチンですが、H5N1は相手が強すぎるので、もっと弱い型のワクチンで妥協しなくてはなりません。世界的にその技術も効果も認められているのに、喜田さんグループは自分たちの研究の為か、それを認めようとしないのです。また自然のウイルスとワクチンのそれを鶏の組織上で見分ける技術をDIVAといい、これももう世界中の常識になっています。国民の多くは日本はその辺のことでも世界の先進国に違いないと勘違いしていますが、だまって10年は遅れています。彼我の論文の内容を比較しても恥ずかしい限りです。インフルエンザのように変異しやすいウイルスには、その妥協する技術がとても大切で、世界にはそれを30年も専門に研究している人がいて、今では、HもNも妥協出来るとしてアメリカなどH5,H7に対してもH1のワクチンを普通に使っているのです。喜田さん達がこのどちらも認めていないのは大問題で、そもそも彼らの研究の発端がそれを認めないところ、つまりは世界といわず業界内でも最早陳腐化してしまっている考えから出発しているからなのです。先回りするつもりが最後手にまわってしまったと云って過言ではないと思います。この点をまずはっきりさせることです。

ひるがえって我が国の現状ですが、FAOなどの勧告以外に、最新のアメリカの論文でも、今、日本でやっているようなたまたま発生が表面化したところを捕らえて対処する方法は実際的でないとしています。つまり山口、大分、京都のどれも発生源ではなく感染発症地であるとする認識の重要性を指摘しています。みな何処からかウイルスが運ばれて来た訳です。この間2カ月、ウイルスは自分だけでは生きられませんから何かに取り付いていたことになり、取り付けば一週間以内に発症するでしょうから、この三者以外に発症が無かったとするのは如何にも不自然と云うことが出来るでしょう。今回も処理場で病鶏を検査員が見ても分からなかった。況んや発症現場を摘発しようにも、養鶏場自身、立ち入り禁止の立て札をたてて、折からの卵価安に逃げ出している状況ですから、餓死か病気かの区別なんか外から付く訳がないのです。昔のように百姓が逃げ出したら山狩りして捕まえますか。もう消毒では防げないと、被害にあった農家が証言しているのに、あくまでA農産のせいにして全国的に消毒を強化するなどの方針は養鶏農家の不信を買うばかりです。

喜田さんはイタリア、メキシコの世界的な成功例を失敗例として紹介していますが、こんなことをぬけぬけ言う神経が信じられません。両国のデーターはシンポジュームをやった、NBIにも私のほうにもあります。両国とも以後、強毒型の発生を見ていない希有な成功例です。喜田さんがここまで強弁するとは思いませんでした。なぜなら両国とも、喜田さんの理想とするウイルスと仲良くしている国なのですよ。

 なぜワクチンを打ってはいけないのか、との本題で、まず豚コレラとは違うからと云っていますが冗談ではないインフルエンザ対策を豚コレラ対策と取り違えているのは、政府とその学者達のほうなんですよ。豚コレラは防疫対策も極限して掛かれます。発生を見てからでも、ワクチンが充分間に合います。事実もう我が国でも3年位ワクチン無しで発症していません。そんなイメージでトリインフルエンザに対処しているのは自分達のほうなのにあきれた言い分です。怒りを通り越して噴飯ものです。

通常、鶏のワクチンは、人間のインフルエンザワクチンとおなじように毎年接種を繰り返します。ニューカッスルや気管支炎、マレックなど皆そうで中にはおなじように発症を防ぐだけのワクチンも許可され使われ続けているのです。ワクチン接種は毎年、業者の責任で続けられ、万一接種を怠って発病したらそれこそ非難の対象になります。トリインフルエンザだって許可されれば同じでそれを問題視するのは見当違いです。一旦使い出したら本当に絶滅するまで使い続けることが原則なのです。そのような使い方を問題視して失敗などとするのはただの素人です。非難する理由は一つも無いのです。 そして最早ワクチン無しで蔓延防止が出来る段階でないことはFAOなどの勧告を待つまでも無く、国民感情からもしかりです。繰り返される殺処分はかわいそうを通り越して嫌悪感を買って、養鶏場離れを加速しています。新聞にあるように、ワクチンと抗菌剤を混同して嫌がるような消費者は少なく共家の4000人のお客様の中にはいません。そのような間違った認識があれば、そのまま世論として受け入れてしまうのではなく啓蒙していくことが、農業新聞の使命ではありませんか。このことは政府や学者のいうことでも同じです。権威を信じて報道するだけではただの御用新聞です。

さらにワクチン接種の技術的問題を指摘されたとあります。ワクチン筋注での針の交換費用まで問題視されますが、生き埋め費用の膨大さはどうなるのです。実際ワクチン接種はウインドレ成鶏舎では無理でしょう。しかし現在、養鶏の主流は完全分業制です。育成段階でワクチネーションの一環として実施すれば、最も効果的に、しかも一羽当たり数十円の費用で済むのです。育成業者も何処よりもワクチンを望んでいるのですから針の問題位、彼らに任せて、本題をおろそかにしないで下さい。

世界的にみても特にアメリカなどでは殺処分かワクチンかは政治的な問題として扱われているようです。しかし日本の特殊事情としては、一度特定の得意先を失うと再起が難しい面があり、殺処分はおろか問題が表面化しただけでも致命的になりかねない問題があります。その点でワクチネーション以外の殺処分にむけた方向で、趣旨を徹底させることは、もともと無理な気がします。むしろ机上の空論です。同じ経済的理由なら、それに再起出来ないなら、黙って逃げる場合もあることも想定すべきです。皆もう人事ではないのですから。一方で必要なワクチネーションを毎年繰り返し鶏病をコントロールしてきた自信と実績は、我々の業界は世界一です。それをもう少し信用すべきです。それをいまさら針だなんて情けなくなりませんか。

現実に目をもどせば、ブロイラーを含めまだ3億以上の発症したら危険な鶏が全国にいます。学者がいろいろ云っても、その発症こそが目に見える問題のすべてです。発症があるから埋けなければならないのです。その図がさらに鶏や卵から消費者を遠ざけるのです。実際、消費者に接している我々からみるともう心情的に限界にきています。決して福田官房長官の述べた段階ではありません。卵価は実質100円程度で推移し鶏肉は下がり続ける。人の健康云々だけでなく、もう鶏は可愛想で見たくないというのが、身近に聞こえて来る人々の心情なのです。これ以上文字どおり鶏の殺戮を繰り返したら本当に取り返しのつかないところへ行くでしょう。人々は皆本当のことを知りたがっています。ワクチンのことも各国の事情をはじめ、学者の都合でない本当のことを正直に開示すべきです。今は作られた情報に、皆が惑わされているのです。生産者の必要だけでなく、消費者もむごたらしい連日の生きた鶏殺しに辟易しています。若しトリワクチンに関して正しい情報を開示して尚且つ消費者自身も鶏殺処分を支持するようならその時こそ、この国の養鶏の将来はないでしょう。私自身、若し養鶏を続けられるとしたら(今は全く見通しなし)お客様に訴える言葉はもう一つしか残っていません。
「日本の鶏はワクチンで守られているから、むごたらしい生き埋めはもうしないで済みます。」