非難ごうごうだが



京都でのトリインフルエンザ発生でその業者の届け出が遅れ、尚且つ廃鶏を運んだことで非難ごうごうだが、その中にも、相変わらず養鶏場従業員の安全を懸念するコメントが少なく、本当はそれが総ての始まりで、その気持ちが最初にあれば後の非難される部分の問題は起きないはずだ。それ以前の消費者による不信感の増大、経済的困難は、このままの国の方針では、一様に、鶏飼いなら明日とは云わず我が身だ。

それにしても行政当局が当該業者の対応を非難して、下手をすれば今後の発生総ての責任をそこにかぶせてしまうことを業界としてはむしろ警戒しなくてはならないし当局にとっても危険な方向といえる。何しろ実際は、発病初期に感染症を疑うことはおろか、病鶏を発見すること自体が場員にとって容易ではなく、それが鶏に接することの少ない近代的鶏舎では尚更のこと、それと日常の業務である廃鶏処分が重なることは充分考えられることで、そんな間違いは何処ででも起こり得る危険があり、いつ何時自分が非難される立場になるか分からないと業界人なら考えないのか。善意の人だったら自殺しかねない問題だ。少なくともそれ以上の詰問は難しい。

繰り返すようにアジア全体の問題を京都なら京都に極限して対応しようとすることが問題なのではないか。その業者の対応に総て押し付けようとすれば裁判したって勝ち目はない。ワクチンの備蓄をして緊急の場合に備えたようなことを云っていたが実際は100万羽にも足らぬ量で問題にならぬ。正直、無い袖は振れぬのだ。本当は備えていないのに備えがあるような事を云い、今度の件でもこれ幸いとばかり業者ひとりをあげつらう世論作りみたいなことは、言語道断である。

一方、もうどこから出ても不思議ではないからワクチンを早くよこせという業界の運動が加速されると思いきや、我が身の明日も顧みず、あたかも政府の宣伝に乗ったような業界団体幹部のコメントはなんともはがゆい限りだった。

尤もそれが、その団体の意向ならば仕方ないことだが。消費者が大事なのは分かるが、それはそれで矢張り根本的な問題を業界として考えなければ消費者だって何時迄も安心出来ないだろう。充分な担保もなく殺処分と移動禁止の経済封鎖だけを強行すれば、それに対して、色々な対応が出るであろう事くらい、予想してかからねばならないことは当然だ。

それなのに根本的な状況は各国おなじなのに、ことさら業者の対応に転嫁して、こんなことをすれば東南アジアと同じになりかねないと云ったり、山口の処理は今後のモデルケースだと云った口の下から今度はマニュアルはバイブルではないと云ったり、学者の云い方は全く信用出来ないではないか。

もう一度基本から考え直さないと、この国の養鶏は駄目になる。少なくとも業界は自分たちの生活に係わる問題として、しっかり目を見開くべきだ。

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