鳥インフルエンザ問題の今後(222)



T 先生 貴酬

資料をお送り下さいましてお手数をおかけし厚く御礼申し上げます。今年は急な冷え込みもなく今のところ何処も順調なようです。

先日の生産者協会のシンポジュームも有意義だったようで、少しづつでも皆がワクチンについて理解を持つようになればいいと思います。ワクチンがあるのにトキを分散させてなどという姑息なことを何時迄もやるのも、わずか何百キロ離せば安全などという発想は豚コレラ対策から一歩も出て居ない気がします。

先生が云われるように今回の講師が、鶏にワクチンを投与することでウイルスがドリフトないしはシフトして公衆衛生上の危険性が生じる等の懸念をはっきり否定してくれたことで国民全体の家禽ワクチンへの理解を深めてくれたことと思います。

まあ日本の学者達も本心ではかつての青森大会の折り、島田専務がその質問をカプアさんにしたとの発言に喜田さん自身がナンセンスと答えたように本当はそう思って居なくても、それをワクチンの防波堤にしたい官僚達の手前、小委員会などでは、はっきり主張できなくて、何処へも参加できなくなって居ることを思えば気の毒な気さえします。

それとこれはウイルス学会自体が問題視し喜田教授自身のワクチン反対の主張の根幹であるサイレントエピデミックの問題をも、ワクチンを投与することでウイルスの排泄量が減りやがては消滅するという当然の考え方で改めて否定してくれたことも当然のことながらありがたいと思います。

要するに、日本のように公衆衛生上の懸念をワクチン反対の根幹部分に置かれては業界も手も足も出ませんが、きちんと管理されることを条件にワクチンの可否はすべからく経済問題であるとしてくれたことはこれも業界にとっては百万の味方を得たようなものです。ただこのようなシンポジュームに当面の我が国の研究者達が参加出来ないのは寂しい限りで、やはり日本は自由にものが言える真の民主国家ではない証拠ですね。

大槻教授も前にNBIでガルシアさんを呼んだときに、東京でガルシア博士にお会いしたら貴方はよく分かって居られるといわれたと話して居たくらいで、本当は国が云うようなメキシコを小馬鹿にしたような話ではないのですね。尤も河岡教授に「メキシコ?ありゃ後進国だろ」と云われて来た記者がいましたが(笑い)。

まあ現実は、国が頑なな主張と政策を続ける限り、インドネシアやパキスタンの事例などで人型へのシフトが懸念され盲従ともとれるコンプライアンス重視のなかワクチンを主張することさえなかなかままならぬ状態は続きそうですね。

現場での発症の仕方も野外の弱毒株が鶏舎に入って強毒化する形から、いきなり強毒株が持ち込まれる形にマニュアルも変更されましたが、そうなるとますます初発を如何に早く見つけ淘汰するかで勝敗が決まりそうです。届け出のほうは二次感染つまりは鶏舎内の水平感染が起こりかなりの斃死を見てからでも「早期」とされているのはやはり変です。

人間の結核などで非特異的なCD4細胞量を測って危険性を判断していますが、我が国で強毒型発症をみても拡がり難いのは、やはりいろいろなワクチンが打たれて居て、先生の云われる広い意味での基礎免疫や免疫以外の競合や干渉が行われて居るに違いないと私は思って居ます。

度々云うのですが、ニューカッスル発生が近所で毎日のようにあったころ、発症を見てからでも直ぐに生ワクをスプレーすることで以後の発症を防ぐことができました。この場合は免疫抗体が上がる前の効果なので、試しにIBのワクチンを使ったところ同じ効果があり、当時すでに家衛試から製薬会社に移って居られた椿原先生に電話したら「そんな馬鹿な」といわれたことを前にも書きました。それでもそれ以来わが家ではEDSのウイルス迷入があるまでデュファーのコンビMを冬場は隔月で噴霧していましたし、今はアビとH120を交互に2週間隔で噴霧してウイルス性の呼吸器病に備えて居ます。この結果、予め育成場で受けたオイルワクチンの当初2000倍もあった抗体価は平均20倍のギリギリのところまで落ちてしまいます。オイルワクチンでの特異抗体がアビのそれと入れ替わっているのかも知れませんし、生体の免疫刺激そのものが落ちるのかも知れません。いずれにしてもウイルスが最初に取り付くのは粘膜でしたし死毒ワクチンでは粘膜免疫も競合排除もできませんから生ワクチンの効果は絶大でした。その意味でMg,Msワクチンに大いに期待して居ます。育成場も取り入れてくれました。

いずれにしても養豚の現場でみるようにカギと鍵穴理論では相手が多すぎてとても対応できません。コロナ一つをとってもIBからSARSまで無数に変異していますし、その意味から人間の場合も液性免疫だけを追うのならワクチンは効かないとの本が医学界から出て来るのもむべなるかなと思います。

どうも有り難うございました。良いお年をお迎え下さいますように 敬具。

平成 19年 12月 16日   篠原 一郎