鳥インフルエンザ問題の今後(221)



36年振りの馬インフルエンザの発生で競馬界が揺れて居る。
われわれ鶏飼いから見ると、この扱いの差はあきれるばかりである。鶏の場合はあれほど騒がれた公衆衛生問題は、鶏とは比較にならないくらい人間に近い馬であっても、まるで出て来ない。報道とはそんなものなんだろう。

もともと馬産事業は国防に直接結び付くものであっただけに、戦前から、帝国馬匹協会や日本馬事会は一省庁の枠を超えた存在だったのだろう。戦後、軍馬は無くなって競馬オンリーとなっても、その伝統は今のJRAなどに受け継がれて居る。鶏界が引き合いに出すのはおこがましいということか。
そうでなくても真偽の程はいざ知らず、第2次池田内閣の時の河野農相が輸入競走馬を馬糧商に預けていた話や、1971年暮れの輸入馬が元のH3N8の大発生では無認可のまま輸入ワクチンの緊急接種がおこなわれるなど(赤城宗徳農林大臣)家畜の中でも、こと馬となると別格で対策面でも舌を巻く迅速さであったといわれる。

またその裏付けとして、研究機関のほうも明治37年(1904年)東北3県での伝貧大発生を受けて臨時馬疫調査委員会が設けられ、戦後もJRA主体の自衛防疫体制が敷かれ伝貧を中心に、炭疽、更にはインフルエンザについても研究を怠らなかったそうで、その決定に際しては他の介入を許さなかったのだろう。

鶏に話を戻せば、地方の現場のことを何も知らない指導者たち、一旦有事の際は行政が招集した小委員会などの有識者会議で、委員たちは夫れ夫れが自分の置かれた立場で、現場そっちのけの思いつき見たいなことを云い、結局は行政主導の結論を出して終わる。それの繰り返しであり、話が直ぐに鶏現場を離れた公衆衛生という2次的なところに飛んでしまう。これで鶏業界が救われる筈がないと馬の場合と比較してつくづく嫌になる。だから現場そっちのけで公衆衛生面ばかりを強調して騒ぎ立てる獣医関係の学者の発言などは、すべからく自分の研究費ほしさに見えてしまうのだ。

それにしても昭和46年当時の馬のインフルエンザ流行時の感染の度合いと早さは発生都府県の場合概ね8割以上の罹患率である。埼玉県で過去に行われた猪の調査でも同じような陽性率を示していたから、これがワクチンがない場合の、夫れ夫れの宿主域に於ける一般的な流行時感染の度合いなのだろう。とすれば矢張り繰り返すように、調べれば無数に在ると思われる鶏の未知のウイルスなどを公衆衛生への懸念だけで家禽上で殺し続けることだけは止めて貰いたいものである。

今回の馬の場合、鶏では真っ先に飛び出す亜型の問題は公式に伏せられたままだ。否、発表そのものがJRAに絞られて居る。農水省はどう発表し、どう扱うのだろう。小委員会の面々はどう云うのか。馬事(他事)ながら鶏飼いとしても興味がある。

H 19 8 18. I, SHINOHARA.