「鶏の異常」を早期に察知するために夜中鶏舎に入れば、実際は、ゴロゴロ、グーグーという呼吸音や、中には外部寄生虫や蚊を追い払おうと脚をバタつかせている音もまじり、これでは早期の駆除なんてとても無理だと感じることもあるだろう。大体、人間を含め生ある者はいずれ何らかの病を得て死ぬのだから、鶏だってその例外ではない。しかも野外での感染症の発病はそのすべてが複合感染である。豚のインフルエンザの実験で有名なショウプの場合も発症には必ず菌(Heamophilus suis)が絡んで居た。そんなわけで実際の現場では有効なワクチン接種の事実があれば、それを除外する消去法で第一段階の類症鑑別をすることが多い。 AIの場合、スクリーニングの第一はNDとの鑑別だが、過去の事例では例えば1930〜1945年にかけての我が国での発症で家禽ペストとされていたものが後にNDに訂正されたりしているし、現在でもAIの発生があれば、必ずNDの多発が記録される。周囲への影響はワクチンのあるNDとAIは大違いだから、場合によっては意図的にとっ違える場合だって無きにしも有らずだろう。 家禽ペストの歴史をみれば19世紀初頭にかけてヨーロッパ全土に拡がり1878年にイタリアで初めて家禽ペストとして報告されたとある。日本でも1925〜26に東京、千葉、奈良に発生を見て居るが、いずれも100%の死亡で短期の流行に終わり、これが為強毒型AIは容易く絶滅させることが出来るとの神話が出来たという(獣医微生物学他)。ところが実際はそうでないらしい。インフルエンザの場合のパンデミックとしての急性強毒期こそ短いが、その後マイルド化されたものは小変異を繰り返しながら永く残ってしまうものも多い。 鶏のほうではアジアで猛威をふるったH9N2は、その後3つの系統に別れてマイルド化して韓国辺りに常在するというし、ペンシルバニアで1600万羽が殺処分されたH5N2は現在の中米で風土病化している。その風土病化をワクチンのせいにするがH9N2の場合と比較すれば、その限りでもなく寧ろウイルスの性格的なものと見る方が合理的だ。とにかく分かっているだけでもHが16、Nが9、その多岐な組み合わせがあらゆる動物に対して分化し変異を繰り返して馴致して居るとすれば人為では如何ともしがたい。そしてその中には南中国でのH5N1とH9N2のようにかなりの範囲で、HVJとNDV間でみられたような共通抗原がみとめられて来るような気がする。 既に最近の米国で発見されるH5N1は鶏には毒性を示さないという。これまでのインフルエンザウイルスと宿主の関係はすべてがその方向で推移し当然の経過であると思われるのだが、なぜか我が国の研究者はこれを発症を見ない潜在的流行であると毛嫌いし、それがさも人類に危険であるかのような宣伝を繰り返して来たのは許せない行為である。茨城型H5N2でいえば、これこそがウイルスとホスト間の究極の形であり、学説によっては生物の進化の元でもあるのに、いたずらにこれを危険視する情報のみを流して来た小委員会などの御用学者の立場からの指導的どころか扇動的発言に毒され、人類にも危険が及ぶ危険な行為とまで断ぜられた茨城地裁での被告人の立場は本当に同情に値しよう。 ただ国が相変わらず清浄国論に立ち、研究費欲しさの研究者達が節を曲げてまでそれに参加し、当然あるべきウイルス宿主間の馴致と無毒株の存在を、繰り返すようにことさら強毒株の潜在的流行を促す人体にも危険な事象であるとまで強弁させている現在の日本の、法廷で勝利するには、研究者達の良心に訴えるよりなかろう。 H 19 4 2. I,SHINOHARA. |