鳥インフルエンザ問題の今後(215)



昨日は関東地方も黄砂がひどかった。「黄砂は生き物も運ぶ」と、先日の新聞に金沢大学の岩坂教授の記事が出て居たが、時季的に我が国ではインフルエンザも収まってくることだろう。

この両三年間で、表面化した分についてだけでも、実際被害にあった養鶏場の悲痛な体験をもとに、現場の自衛策も自ずと浮かび上がって来る。

そのなかで、先ず予防的ワクチンについては、実際に防疫方針を決める政府の小委員会のメンバーの主力を、清浄国論に立つ国の研究予算を受ける御用学者達で占めるという異常な構成である上に、もともと交差免疫を全く認めて居ない彼らが、それによって成り立つEU指令の予防的ワクチン使用の前提であるDIVAを受け入れる筈も無く、その理論からは現在備蓄中のH5N2ワクチンなど、もともと全く使える当てもない予算の無駄使いに等しいといえる。

また金科玉条の如く言われるコンプライアンス、つまり法令遵守としての早期通報も、実際はウイルスが接触感染して爆発的に増殖するアウトブレークの初期段階に過ぎないから、それに伴う殺処分と移動禁止は免れず、商権維持を始め、その地区の業者たちに致命的損害を与えることには変わりは無い。

そして現在、唯一勧められて居る、遮蔽と消毒によるバイオセキュリティも個々の発生事例に対してはほとんど効果を示して居ないことも実証された。それにしてはそれ以後の感染が拡がらない理由についてウイルス学的に納得できる説明は皆無である。

それを殺処分による根絶の効果で清浄国が保たれて居るとするか、環境中の未知の競合ウイルスの存在を疑うのか、はたまた《とき》様のいわれるように、もはや鶏そのものが馴致してしまって居るのかは定かではないが、しかし繰り返すように国が清浄国論に立ち、学会が交差免疫や、況んや野外での競合など一切認めて居ない日本では、消毒遮蔽と殺処分以外の効果を国が認めることは有り得ない話だ。従ってたとえロシアンルーレットでも流れ矢に当たることでも、白羽の矢が立ったからには、早期通報の恩賞を受けることが有っても、その地区もろとも、たかが鶏の流感にあるまじき経済的被害を被ることだけは明白である。

過日の新聞でも、科学的理解度において日本は先進国のなかで下から3番目であると報じられて居た。確かに最近のデジカメを見てもモードを合わせるだけで撮影の基礎知識が全く無くても難しい写真が撮れるし、食物が食える食えないの判断材料も賞味期限だけである。夜中に作ったコンビニ弁当は午前9時には廃棄され、残った賞味期限の数時間を使って合法的に再利用され、それが画期的手法と持て囃される。こんな国と国民に将来性があるのかと思うしこれがコンプライアンスというものだろうか。こんな手法でしか王様消費者は納得しないのか。食い物を捨てることを何とも思わず、捨てなければ犯罪になり、それを豚の餌に再利用することで納得されてしまう。何処までも安心と安全の保証を求める、何とも恐ろしいまでに意識の進んだ国と国民になった。八百万の神々も居なくなったようだからもう食い物のバチも当たるまい。

もう、われわれ現場は「鳥インフルエンザウイルスは恐くない」「ウイルスと仲良くしよう」と云った喜田教授の本音部分を頼りに試行錯誤するよりない。少なくともインターネットで具体的に示唆をもらうのは、何時も云う《とき》様達、笹山道場の面々だけのような気がする。我々に必要なのは言葉っ尻りではなく考えるヒントなのだ。

H 19 3 29. I,SHINOHARA.