鳥インフルエンザ問題の今後(214)



「競合排除というのはどうも馴染まない」と《とき》様に叱られてしまいましたが(笑)植物の防疫研究のほうで使われて居るその言葉は、ウイルス同志の干渉を逆に利用して、後から来たものを排除する、我々自身が俗に言う<お山の大将>(童謡、お山の大将、俺一人、後から来た者追い落とせ)そのものでした。

発端は昭和40年代に入って、気管支炎の生ワクチンとしてサルスベリーのコネチカット株とデュファーのマサチューセッツ株が入って来て、両者の型は両極端なのに、実際はスプレーするとどちらも当時流行った野外株に有効だったのです。そしてそれは何とニューカッスルまでに。「そんなことはない」と椿原先生に怒られた話は前にも書きました。実際どこまでが干渉で、どこからが交差免疫なのか現場では分からないのですが、実際そういうものがあることは事実なのです。

我が国の学会では、交差免疫は一切認めて居ません。かつてのNHK鳥インフルエンザ、キーパーソンでの喜田教授も、そのなかで「Hが違ってもNが違っても免疫は出来ません」と言って居ますがその姿勢は今も同じです。

ところが世界を見渡すとアメリカのWhithear博士のMg基礎免疫の話、南中国でのH9N2のH5N1に対する干渉がれっきとしたT細胞による局所細胞免疫だったという話、更にはアメリカ、ハルバーソン教授の「アメリカではH1N1の不活化ワクチンが他の亜型に対しても普遍的ではないが普通に使われて居る」という信じられない記述など、これから局所粘膜免疫、細胞免疫を中心に、より広い意味での免疫交差、干渉などを調べて行かねばとしている所です。

鳥インフルエンザのワクチンそのものについては日本の現状では全くお話しにはなりません。EUの新指令でDIVA技術をとりいれたワクチネーションが世界的潮流だと仮にしても、我が国では先達の喜田教授はじめカプアさんのDIVA技術を信用してないようですし、第一H5亜型総てが摘発対象では話になりません。それに大本の《清浄国論》を解くためには、これから何千万羽かの犠牲が必要となりそうです。茨城600万羽くらいではとてもとてもという声さえ聞かれました。そうなるともう現実的ではありません。議論するだけ無駄のようです。

しかし実際AIの発生を見た地区の苦しみは、想像を絶するものがあります。それが昨日の生産者団体の抗議集会にも現れています。しかしそれを取り上げてくれた全国紙があったのでしょうか、農業新聞でさえそっぽを向いて居ます。まさにコップの中の嵐としての扱いしか受けて居ません。だから我々現場はあくまで合法的に自衛を心掛けて行くよりないと思って居ます。それには万病に対する基本中の基本である早期発見、早期淘汰しかありません。「鶏の不審な死に方」を待った法令遵守では遅いのです。いち早く鶏の「不審な挙動」を見つけて淘汰する以外にないのです。

今回の宮崎、岡山事例では早期の通報により蔓延を防げたとされています。他に見つかった汚染はクマタカ一羽でした。公的情報とはもともとそんなものなのです。発生地の苦しみは、もう十分過ぎるほどわかるのですが、だからコンプライアンスが総てでは明らかに手遅れになります。実際のウイルスは《とき》様も言われるように待った無しです。ウイルス自体がコンプライアンスなんか何とも思ってはいないのですから現場のほうも、あくまで《法律》を守ってウイルスに先駆けて行動しなくてはならないと思います。

H 19 3 24. I,SHINOHARA.