鳥インフルエンザ問題の今後(204)



週間現代誌での大槻発言が全くけしからぬのは、自らも関与するサーベイランスがまるで機能しないこと、完璧に指導した筈のバイオセキュリティも無力だったことの総てを、公的情報を悪用する形で、実際はありもしなかった《闇ワク》にすべてを押し付けて居ることである。しかも養鶏家が《闇ワク》に頼ろうとするのも自分の利益を守るために無理からぬ心情であると、邪推に基づいたとんでもない言い方をしてそれを闇ワク説の根拠にしている。

繰り返すようにそんな馬鹿な鶏飼いが今時居る訳がない。そうでなくても法令遵守が叫ばれ、焼け跡としての抗体陽性だけで引っ括られる今の養鶏界は、意味こそ違え「苛政は虎よりも猛なり」を実感し続けて来て、ワクチンはおろか、必要な環境への馴致にまで神経を使って居るところである。馬鹿馬鹿しいにも程が有る。

最初から言って居るが、中国大陸でH5N2茨城中米株はワクチンとしても早くから用いられ、いい加減なワクチンも存在し、それらを一方的に消去して中米から直接持ち込まれたという仮説というより言い掛かりをつけての小委員会の結論を、そのまま公的見解として流したつけを、実際動衛研や感染研の調査で、我が国にはかなりの同じH5N2亜型が存在することが分かって居る今、当局はどう払うのかと見て居れば、二匹めのドジョウをねらった、またでっちあげをするとは全く曲学阿世そのものである。

確かに今、鶏へのAIワクチン投与については賛否両論があろうが、その広がりが手に負えなくなった時には、最後の砦であることには間違いない。それを科学者にもあるまじき糞も味噌も一緒にしてすべからく有害であり危険であると宣伝し人々の脳裏に焼き付けて仕舞うことは、将来それが本当に必要になった時、改めて理解を得るのに大変な努力を要することにも成りかねない。

今、大槻教授から槍玉にあげられた形の養鶏協会は、茨城事例で、同じ闇ワク問題をでっちあげに近い形で持ち上げられた時に、抗議するどころか、逆に闇ワクに手を出さないようにと指導するような不可解な行動に出た。

まともな養鶏家が闇ワクに手を出すことなど有り得ないとの確信があれば、断固とした態度に出られた筈である。またその信頼さえなければ団体の意味がない。《手遅れ》という意味ではこれだけ公的情報で闇ワク疑惑を流され、揚げ句このような決めつけともとられるような言い方を権威者の一人からされると、大槻さん個人をいくら糾弾しても、世論に対してそれをひっくりかえすのは困難とさえ思える。分かるものは分かって居るんだとするだけではどうにもならない。相手もその辺を察して公的情報に則って居れば恐いものは無いとたかをくくっているに違いない。

《手遅れ》と言う意味では、鶏が<不審な死に方>をしてからでは遅いのだ。万病の元である風邪を引いたら一羽でも即刻淘汰すべきなのである。そして暖かくなるのを待つ。これしか合法的自衛策はない。総てにつけ本当の《手遅れ》の意味を良く考えるべきだとつくづく思う。

H 19 2 20. I,SHINOHARA.