鳥インフルエンザ問題の今後(203)



宮崎、岡山以後の続発情報も無く一過性の嵐にも似て、一見世は事も無しである。しかし実際は時節柄、我々は最大限の警戒を行っている。2月20日からの國の指示による石灰散布について、県下の養鶏関係者を集めての説明会が明日行われる。この時季、鶏飼いを集めるなど非常識であると一応、県の養鶏協会にも私的に申し入れたが、農水省の命令でありどうにもならぬと返事を頂いた。国費を使って石灰を撒く上はそれなりの説明手順を経なければならぬお上と我々現場の認識とはかほどに掛け離れている。笹山政策道場《とき》様の云われることは、我々現場にとってもレベル4の話であり、公式情報だけの云わばレベル1の話とはもともとかみ合う筈もない。その意味でマイノリティであり、その認識がマジョリティに近付くことを我々も望んでいるわけである。

日本は清浄国であろうとの基本的な認識では、公式情報に限ればその通りである。ウイルスが家禽から見つかればすべて殺処分し、環境中にも見当たらない。(仲間もいる)WHOからもその処理の的確さを称賛される。マンガの文句ではないが「これでイイのだ」である。しかし世界は必ずしもそうは見ていない。あれだけのアウトブレークを見ながら、何故環境中には見つからないのかについては世界中が疑問視している。公的情報にない動衛研や感染研の調査は海外で発表され、研究者は辛うじて面目を保っているかにみえる。しかし多くの現場や消費者の安心感は、その公的情報によって保たれてもいるのだから、やたら一部現場の不安を暴き立てればいいものでもない。しかし魔女狩りに逢わぬためには現場の実態も訴えて置かねばならない事もあるが、コンプライアンスの大きな問題もあり「鶏の風邪」と表現するのと「鶏の流感」というのとでは大違いになる。

もともと鶏の風邪症状は何十種類もあるが、そのほとんどが産卵低下を伴い経営には致命的になるのでワクチンの力が絶大である。その代わり一旦発症をみれば淘汰が早道であり顕性のものは淘汰されるが不顕性の分は隠れて仕舞う。これが喜田教授も《とき》様も云われる、抵抗性のあるものを選別しウイルスと仲良くして行く道順なのだろう。

しかしながら我が国の学会は相変わらず不顕性感染を公衆衛生面で問題にするあまり、この「ウイルスと仲良くする」道を封じて仕舞おうとする。ここにウイルス対策での基本的なボタンの掛け違いがあるので、その辺はアメリカ式の割り切りが必要だろう。その辺を含めネット議論の場で言い続けてくれて居るのが《とき》様である。現場は実験室ではないから多少非科学的でも情況証拠で動くよりない。そう考えると当然公式情報よりも、研究機関の海外発表や隣接国の状況や、なにより鶏飼い同志の情報を重視するようになるが、そのどれを見ても周囲が本当に清浄だとの認識は出て来そうにない。しかし業界の末席を汚す立場にあっては、既に我が国も韓国や中国にみるように事LPAIに関しては浸潤してしまっていて、感染が拡がらないのはすでに大部分の鶏が体験済みだろうというわけにもいかない。本質をズバッと言える《とき》様がうらやましい。だから國が言うとおり、無いものは無いとしながら風邪として現れたものは、人間ならトンプクで済むところでも、一羽の段階で淘汰して仕舞えと言うわけである。そしてこれが長い間の鶏飼いの習性でもあり<早期発見>に拘る理由である。<手遅れ>の意味もまた色々ありそうだ。講演などを聞きに行っても公的見解の範囲のレベル1の話は聞いても面白くない。ある講演後、椿原さんにそれを言ったら「いやあ信藤さん(本省課長)がいたもんで」と言った話は前に披瀝した。《若隠居K》様の基本的認識を踏まえて《とき》様のレベル4のマイノリティがなければ拝見していて面白くない。現場は緊張期の真っ只中、嵐の前の静けさかも。

H 19 2 19. I,SHINOHARA.