<千丈の堤も蟻の一穴>と云われる。外からの病気の侵入の発見は最初の一羽に尽きる。ワクチンがあっても油断はならない。呼吸器病に付き物の、同じ夜中の喘鳴音でもNDのガアガア、IBのクークー、CRDのゴロゴロというように大ざっぱに見分けてその場で袋に入れてしまった。2月のある夜、暖房もない空冷の750CCのパブリカで姉の見舞いから帰って来た真夜中、小雪の舞う中での見回りで、初めての気管支炎の発症を掴まえた。それとチアノーゼや顔の腫脹などを見る昼間の観察は又別である。当時から、仮に鳥フルが存在してもその中に入って仕舞って居たろう。とにかく常にこれを続けることで大抵は大事には至らないで済んだ。今でもなまじ人用の簡易検査キットなんか使うと診断行為に取られかねない。接触感染では平飼い以外は大切なのは足の消毒より、実際に鶏を捕まえる手洗いの励行である。 防疫マニュアル通りにきちんとやっていて尚且つ発生するのはマニュアルに欠陥があるからだろう。現実に数カ所で発症しているのに野鳥からも環境からもウイルスが見つからないのは見つけ方に問題があるからだ。発生の原因をすべて農家に押し付けて来たこれまでの研究者や行政側の言い分を裏返すとそういうことにもなる。実際、火の粉はそこらじゅうに落ちて居ると見るべきだ。各自が警戒を厳重にして火の粉が飛んで来たら小火にならないうちに消火すべきなのに、今のやりかたときたら火の粉を被っても絶対自分で消すな、現場の保存を第一に考えて先ず報告してくれと云って居るようなものである。これでは火事にならないほうがおかしい。現場を知らない学者先生達の考えそうなことである。 この時季は、そうでなくても鶏の呼吸器病は多発している。病性鑑定に廻すなどは、もう手が付かなくなってからが普通だ。夜中の鶏の観察は、昔から最重要の呼吸器病対策であり私達の頃は手を抜いたことはなかった。マイコなどの慢性症状を除き即刻の淘汰である。これは鶏飼いである以上、経営の大小は関係ない。センサーだけ睨んでいて鶏を見ないのは、我々阿呆の鶏飼い以外の、最近の医者ではないがもっと上等な近代的養鶏経営者である。考え方によれば國が清浄国の体面を保っていられるのもこんな現場の日夜の観察があればこそであった。ほとんどが早期発見によって群れとしての発症を未然に防いで居たのだ。 これで本来は良いのだと思う。実は、一昨年NHKテレビのキーパーソンで喜田教授が「鳥インフルエンザは飛沫核感染だ」と説明したことで大分のチャボの発症例と比べて奇異な感じを持ったことを当時指摘したが、やはり主体は人と同じ飛沫感染である。これなら他の大方の呼吸器病と同じ極く早期の摘発が可能で、我々はもうずっと以前からそうして、それと知らずに摘発して来た気がする。ニュアンスこそ違え、喜田教授のつぶやき通りである。実際のアウトブレイクが起こって困るのは業界だけでなく消費者も行政も同じである。喜ぶとすれば沢山の予算にありついて居る研究者だけかも知れない。 昔からの鶏飼いなら、いくら大羽数飼育でも一カ所十数羽という発症はもはや手遅れだと感じるのが普通だ。一羽の発症からは数日以上経過している筈である。追っかけワクチンの効くNDでなければ、今なら強毒AIを疑って当然、とあればこれは即刻の、いや実際は手遅れながら報告する以外にない。これを早い速いというのは行政側の照れ隠し、ボロカクシに聞こえる。実際このように手が付かなくなっての自主淘汰では、それを疑っての隠蔽に近いから、これは厳に謹むべきである。診断がなくても脱法の謗りを免れまい。異常を捉えるのは今風に云えばあくまで家保への斃死報告が増えないうちである。 このようにまだ1〜2羽のうちの観察にもとずく淘汰は治療手段を全く持たない鶏飼いにとって鳥フルなど全く意識していない昔から、最も重要な防疫の第一歩であった。「養鶏の成功は鶏舎の足跡の数に比例する」と云うのは今も変わらぬ真理である。これまでと同じように鶏舎に入るのを恐れず、最初の一羽を発見することに全神経を集中させよう。そうすればこれ以上の続発は防げる筈だ。と息子たちにはハッパをかけ、こうやってせめてもの檄を飛ばすのだが<灯台元暗し>ということも有るからなあ、ロシアンルーレットなどという洒落たものでなく、流れ矢に当たってあっさり討ち死にということも、、呵々。 H 19 2 7. I,SHINOHARA. |