鳥インフルエンザ問題の今後(179)



感染経路究明チームの報告書が出た。まあ現場の誰もが、報告にあるような鶏に適応したウイルスが茨城県南部に限局されて止まったことを<不自然>と感じ、それを600万羽処分の効果とするような報告には納得しなかったろうし、<不自然>という語彙から闇ワクチンを連想させるような子供だましに現場はかえって反発するだろう。しかし此処数年の日本での経験だけ見ても分からないことだらけである。どれが自然でどれが不自然なのかも判然としない。喜田語録にあるように、あるいは昔からあったのではとするような疑問が出ても当然と思われる。

京都の場合も茨城の場合も、はっきりそう云わなくても当局側は殺処分の有効性を、民衆に信じ込ませることに成功しているのだろうが、現場にとってはそれこそが最大の不自然さとして残る。どの場合も明らかに遮断に失敗しており、手遅れなどというものでなく、もう拡がってしまっていたのだ。それゆえに浅田農産は糾弾され、不幸な事件にまで追い込まれた。また発症自体がない茨城株にいたっては発見すら容易でない。

今後、ヒト型のH5N1が出た場合、従来のH1型ワクチンも有効だとウエブスター博士が云ったら、我々はハツカネズミではないとヘイデン博士が反論する。鶏の世界でも、その名の通りニューカッスル病は向こうが本家かと思って居たら、日本のわれわれはさんざ経験済みなのに、今更B1株は強毒内蔵型には効かないと言い出す。またそれを真に受ける日本人が出て来て始末が悪い。要するに現場は学者のあやふやな言説に一々惑わされぬよう心掛けることも大切な気がする。

ニワトリもまたニンゲンではないかも知れぬが、それぞれのインフルエンザの消長は同じ傾向があるようだ。地域的大流行を起こしても二カ月もすると忽然と姿を消し、翌年は変異してまた現れるヒト型とトリ型は、その消長と云う点では同じと思わざるを得ない。そしてその型の最初の流行が一番目立つという意味からも。

京都での強毒型は、あれで拡がりを防げたではないかとするのは、あくまで皮相的な見方で、鶏の集団死など日常茶飯事である。殺処分以外、何の対策も無しに鳥インフルエンザだと騒ぎ立てても何も効果はない。どうせ暖かくなれば消えてしまう可愛いウイルスだとするうがった見方もなかった訳ではない。それに事実、一昨年の強毒型も、去年の弱毒型も同じように時期的に消えうせた。あれを本当に殺処分の効果だと信じて居る研究者がどれほど居るだろうか。初期遮断の失敗は明らかだったのだから。

それなら一切放って置けというのでは無論ない。ただ実際効果的な方法があるのかということである。見当違いなことをしでかして、費用と社会不安をそっちのけにしてこれこれの効果があったと民衆をだますような研究者と官僚の無謬神話の羅列はやりきれないし、現場の犠牲も大きすぎる。

今回の究明チームの報告でもそのことがはっきり云える。初期の寒冷期でのわずかな症状を、現場からの報告で捉えるのは事実上不可能だ。民間の獣医師は、あつものに懲りて診断をしないだろうし、冬場の、人間の咳き、鼻づまりていどの鶏の症状に家保を煩わせたらまったく機能しなくなる。それを報告書ではいとも簡単に、監視を強化すべきだと片付ける。それくらいなら人間のパンデミック同様、どんな強毒株でもその地区からは2カ月もすれば居なくなるさ、と達観して閉鎖自衛を心掛けたほうがよほどいいことになりかねない。生産者協会がすすめる互助基金にしてもそうだが、被害を受けたら、むしろ経営をやめる資金こそが必要なのだという声も聞こえる。

H 18 10 2. I,SHINOHARA.