笹山政策道場ウイルス論争 -養鶏現場から-



《鳥→人感染》問題の場外からは、当てにならない数字でも処理した2億羽を分母にすれば人の発症は140人台。100万分の1の感染ということでは数字的にも感染症とは言えまいという素人意見も寄せられました。さて論争のなかで派生した問答で現場に関係した国内発生の際の実際の処理はどうだったかという議論がありました。このことには何度も触れて来ましたが、今回の茨城問題は論外としても2004年の浅田事件当時の状況を振り返って見たいと思います。

その79年前の我が国でのH7N7HPAIの発生では都合3カ所で発生して100%の斃死率ゆえ、それで絶滅してそれ以上は拡がらなかったと教科書にあります。今考えると全くマユツバものでも、それが世界中のHPAI(当時は家禽ペスト)認識になりました。一方、ここ10年位の論文ではLPAIがHPAIに変異したことばかりが書かれて居ます。つまりAIに関しては自然界で異常なことがむしろ当たり前のこととされてしまったのです。この為、LPAIでも見つかると変異を恐れて殺されてしまうため、予後の記録が全くなかったのです。これが混乱の一因と思います。しかし公的にはそうなのですが、この間にも現場情報は刻々と伝えられていました。ガセネタと云われればそうなのですが。

2004年にかけて、そんな噂はピークを迎えました。消毒薬は足らなくなり、お勝手洗剤を使えなどと云う声さえありました。不穏な噂を嗅ぎ付けたマスコミが殺到したのもこのころです。2チャンネルなど廃鶏処分のトラックを誤解したものなどありましたがウラのとれたものもありました。そのうち大手の農場が閉鎖されて解雇された従業員が来るようにもなりました。

そんな中での浅田事件でした。当時、研究者の話で野鳥から感染するには10の6乗程度のウイルス量が必要と教えられていましたが、冬場は防寒のため解放鶏舎は事実上なく、飛沫核感染は容易に起こる状態です。そこでも脳症でショックをおこしたような 鶏が多く認められ人間のほうもショックでした。浅田農産については当時養鶏協会の副会長でしたから出入りした業界業者の人からワクチネーションの実態までうかがっていました。

当時、省令などではいざ知らず、薬事法の規制もあり「鶏の病気には出刃包丁」と教えられ肉鳥以外は廃鶏=病廃鶏の認識が普通でしたから、それまで全く養鶏現場を知らなかった、研究者の先生達から「病鶏を出荷した、不埓千万」といわれて仰天したくらいです。噂やガセネタの現場情報でみた限りは浅田事件そのものが近くのブロイラー農場を含めて最後のケースでした。あれは自然終息以外の何物でもありません。散らかるものならとっくに散っていて浅田は単なる被害者です。あれ以後発生が表面化しなかったことで、意外と思う反面一番ホッとされたのは処理を指揮した先生方だったでしょうね。

さて最近は記録がなかった予後が続々分かるようになってきました。最初のうちは回復しなかった産卵低下も最近のは一過性です。最近まで1996年の岩手、鹿児島のH3とおぼしきLPAI発症例がインタネット上も出ていましたが強烈です。それが翌年の全国調査に繋がりましたが、これも以後は話題にもならず消滅です。きっとこんなことを昔から繰り返して居たんだろうとする喜田教授の本音のほうに賛成です。放って置けでは無論ありませんが、放って置けば日本中の鶏が居なくなるという認識(農水にあります)は明らかに間違いです。かわいそうですが鶏は消耗品だから養鶏業者は鶏の損耗は割りと平気です。しかし王様の消費者に動揺されるのは命取りと感じているのです。

H 18 9 1. I,SHINOHARA.