笹山政策道場ウイルス論争(もどかしいようでも大切なこと)



本を読んでも100%同感なら読まないのと同じこと、自分で納得出来ない所があって追求しようとするから読んだことになるといいます。論争は勝ち負けの結果でなく、そのプロセスが面白いのですが、その分大変な労力です。感謝しています。

手前事ですが私自身、50年間、卵作りをやっていますが、味の分かる人などほんの一握りです。だから本当は《100人に聞きました》式ではうまくいかないのです。一人の人に感動して貰うことが何より大切と思って居ます。そしてそれを裏切らないことです。

表面的なことを理解して貰うのは簡単です。茨城鳥フル問題にしても、公式文書(小委員会9月発表予定)は多分前頁に掲げたようなものになるでしょう。そして業界を含めそれで可しとするでしょう。それで大団円です。業界が一番欲しいのはワクチンなんかじゃあなく官による終息安全宣言であり補償です。それを妨げる恐れがあるようなごたくを並べると蛇蝎のごとく嫌われます。だから業界内でいろいろ疑問をぶつけるのはかなりの決心が必要になります。やられても補償は要求しないとか。補助金は一切受けないとか。村八分を覚悟するとか。

しかし、まともに鶏を飼う者なら一方で百姓としての心情を持って居ます。身に降りかかる火の粉(感染)を恐れて殺してしまえに同調する向きもありましたが、症状もない600万羽を殺すことに真から同調する鶏飼いは居ません。例え一顧だにされなくても、その間の疑問をずっと綴ってきました。それを普段われわれ現場に教えて居た研究者の面々が何故小委員会になるとああなるのか、それが最大の不満でした。ふだん尊敬している先生達を「あの御用学者め」と云わざるを得なくなるのです。小委員会での討議は決して結論の為のプロセスにはなっていません。しかし本音の部分は消し残された部分からも充分うかがえるのです。すると「ああ、ときさんが云われて居るのはこのことだな」と分かって来るのです。一例で投書に名前が上がった田代さんです。NHKの番組で現在までのアジアの人の症例について「病気としてはウイルス病でない」「インフルエンザウイルスだが病気としてはインフルエンザではない」とはっきり云って居ます。《とき》さんの解説通りなのです。喜田さんや岡部さんの「3点セット」は云わずもがなです。それなのに茨城は何ですか?症状もない鶏を陽性というだけでたまたま見つけた拾ってきたようなウイルスを添えて有無を云わさず殺してしまった。これを素直に防疫に必要な手段だったと受け入れられますか?繰り返すけれど浅田農産の処置、オランダのそれ、ベトナムでの鳥ワクチンなどウイルス対策としたら噴飯ものです。ただそのような法律なり省令の条文に沿ったものだといわれれば対策は対策です。ただそこに書いてあるから《闇ワク》にしようでは頂けませんが、流石にそこまではないでしょうが疑われても仕方ありません。

業界の端くれの私のこんな意見はその業界の公式意見とは裏腹ですが、これはあたかも個々の研究者の本音と小委員会メンバーとしての立場の違いと同じです。

喜田さんの「ウイルスと仲良くしよう」「二週間で消える可愛いウイルス」「昔から在ったかもしれない」「3点セットが必要」「人と鶏を一緒にするな」田代さんの「ウイルス病ではない」それらのどれをとっても実は《とき》さんと一緒なんです。ただ大衆、マジョリティはそうは思わないですべて公式発表以外は苦にもしないでポイ捨てしているだけだと思います。

でもその大衆が何を考えるか、どの程度理解しているのかをしることは大切です。無論われわれ鳥飼百姓は最低の存在、だから逆に《とき》様が必要なのですよ。

H 18 8 28. I,SHINOHARA.