鳥インフルエンザ問題の今後(178)



小学6年生を受け持っている知り合いの先生から毎日曜日、話を聞くことにして居る。彼女は、彼女が子供の頃からの友人である。今週の話、「現場の先生方も知っている地域の教育活動に熱心な老人が居た。下校の子供たちに注意をしたら、今時のガキ共である。数人がこのジジイと飛びかからんばかりで、そのうちの一人にゲンコツを食らわせた。ところがその子の親からの通報で,パトカーが来てなんとその老人を署までしょっ引いてしまった。その事件の後、職員会議があった。校長先生は、登下校の際はくだんの老人宅の前を通らないようにするようにと、先生方を指導した」。さすがに二三の先生から老人の擁護論が出たそうである。 私にも経験がある。道を歩いて居たらニキビ面がてんでに近寄って来てはコンチハ、コンチハと云う。仕方なしにコンチハを返していたが、あまりのしつっこさに年甲斐もなくこの野郎と思ったことがある。学校の話ではきちんと挨拶するように教えているのだそうだが、形だけの現場知らずは、教育に限らず仏作って魂入れずというやつが多い。重大事件の後の校長先生の談話は判で押したように「命を大切にするよう教えて居たのだが」の何とかの一つ覚えばかりである。子供の教育でも防犯でも防災でも防疫でも、地域住民の協力なくしては何事も為し得ないことは明白なのに、体の良い法令遵守とやらは、寧ろその芽をみんなつんでしまって居る 。義を見てせざるは、などと出しゃばるのは愚の骨頂で、ほえ面をかくのが落ちだと分かれば真剣に取り組もうとするものなど居なくなる。

茨城県も、たまたま落ち度があったにせよ民間の有能な獣医達を締め出して、家保など官の立場だけで法令遵守の指導による防疫を心掛けようなどとは見当違いも甚だしいし、業界と業者もまた普段あれだけ面倒をみて貰っておきながら、都合が悪くなると踵(くびす)を返したようによそよそしくなり誰ひとり弁護もしない、一面で情けない業界にもなってしまった。

そしてこのところ北海道の海鳥の話もスズメの大量死も、その他のへんてこりんなことも、動衛研のカラスの話も、その海外での発表も、みんな消えてしまったり忘れられてしまって国内の鳥インフルエンザ問題は、すべて(世は)事も無しである。目出度いのかオメデタイのか。

茨城での抗体の保有状況から見れば、実際の体験は冬場だった可能性が高い。根拠の低い強毒変異を煽っての体験鶏の摘発淘汰を理不尽であると感じれば、未体験、云わば処女の可能性が高い若メスを供しようとする心理は当たり前であり、もともと1農場10羽のそれを、1鶏舎10羽に強化したのは茨城県である。うがった見方をすれば、発症も無しに体験だけで淘汰するこのやり方では全国に鶏がいなくなる危惧が良識として働いたからこそ、ウイルスは茨城から県外へ出なかったとも考えられる。その良識を社会悪として引っくくってしまったのが<やみくもな法令遵守>の茨城県だったのではないか。

それでも全国の鶏の摘発に向けての今年の抗体調査は、検査抗原の種類も検査方法も方式も明かされぬまま6月から始められた。われわれにすれば理不尽極まりない方式を茨城県はすすめ、それを全国に拡げるよう中央に働きかけても居るようだ。なのに、そんな集会に出席した業界の人達からは何の文句も聞かれなくて、これが現行の法令遵守の官民協力ということかと訝った。茨城問題を《実際はアウトブレークではなかった》をキーワードに、人為的災害の続発を防ぎ、真の疾病対策のために法令の改革を含め業界一丸となるべき機会と為し得ず、むざむざ600万羽を犬死にならぬ鶏死にさせてしまった事は、今後の人為的災厄を防ぐ意味からも、返す返す無念だとの思いが強い。

H 18 7 17. I,SHINOHARA.