鳥インフルエンザ問題の今後(177)



昨日はサルモネラ報道で対応に忙殺された。不幸な事件には哀悼の念を禁じ得ないが、やはり現場のわれわれとしては、ことサルモネラ問題では一番苦労したとの自負がある。鶏にすべての原因があるとするのは明らかに間違いであり不思議な消長はあるものの基本的には、繰り返すように動物のいるところ、さらに昆虫に至るまで機械的伝播者が居る限り、腸内細菌のSEは常に身近かな問題で有り続ける。すべてを鶏、卵に帰結することは、事の本質を見誤って危険ですらある。私自身はSEがプロラム同様、予め卵巣、輸卵管に存在する本来的in egg説は信じない。これははっきり病鶏であり健全な卵は排出出来ず種鶏検査の対象である。。健全な卵殻を保つ卵の安全性を種の保存と結び付ける自然の摂理は人知の及ばぬところでもあり、我々は検査も含め健全な環境と健康な鶏から安全な卵を作り続ける以外ない。最近はワクチンも有効であるとされる。

さて茨城の鳥インフルエンザ問題で《とき》様の10日のご指摘は非常に重要であり、これに尽きるのである。
(1)茨城問題は、果たして法令に基づく「病」の発生だったかどうか
ウイルスの「感染」そのものを発生と見なして、撲滅淘汰によって「清浄化」する対策になっている現行の「家畜伝染病予防」の基本思想のあり方を見直すべきであること。
(2)報告の手続きの問題と、感染被害の問題を混同してはならないと思うこと

まさに瑕疵をあげつらって、保険金を払うまいとする悪質保険屋 のようなやり方を国や県がなすべきでないことは「大人の分別」以上に、世界の先進大国として誠に見苦しいと云わざるを得ない。《とき》様の基本的な表現から逸脱する部分があるかもしれないが私達にとっては全面的に賛成である。またこれは逆に「大人の分別」のなせる技かも知れないが、都合の悪い部分を切り捨てる公式論評の類いが殆どなのも、どうも気に入らない。BSE問題にしても、万一とことんプリオン仮説にこだわるのであれば当然、牛だけの問題ではない。もともとはスクレイピーの問題なのだ。とかく都合のいいところだけを論じるのは知識階級の悪い癖でもある。そうかと思えば云い方は悪いが、糞も味噌も一緒にしかねない。そのどちらも現場人種の最も毛嫌いする部分であり、そんな論調も多すぎる。反面、われわれ現場は無知蒙昧でもあるし「巧言令色鮮し仁」の世界でもある。現場でものを云うには、たとえ間違って居ても自己の体験をもとにしていなければならない。それが原則だと心得ているが、それだけにどうも肝心の節度を心得ない。我ながら困ったものである。

またひとつ気になることがある。なんで茨城県は養鶏一次生産量日本一を回復しなければならないのだろうか。カプア博士の云い方では鳥インフルエンザ発症を防ぐ根本的な条件は鶏の一地方での集中飼育をさけることだとされる。ならばつまらぬこだわりを捨てて総体の羽数を減らすべきではないのか。鶏卵肉情報誌の伊藤編集長のオランダ養鶏見聞録によると、国内3000万羽の大淘汰後、多くの大規模インテグレーターが姿を消したという。我が国は今のところ逆に大規模業者に集中する形で再編が進んでいるようだ。今後どうなっていくかは分からない。ただはっきり云えるのはオランダでの大規模淘汰は無茶苦茶で、あの真似は世界中のだれもがしてはいけないということだ。全体像がつかめぬ中でも、HPAIの宿主の選択性はとても高く、その条件によって、無毒から100%致死の強毒まで、かなりばらつきがあることだ。その意味では「予防的殺処分」など以っての外である。当局が今のように「強毒型の発生では日本中の鶏が居なくなる」などという妄想を抱いて居てくれてはとんでもない間違いをしでかしかねない。 

H 18 7 12. I,SHINOHARA.