鶏飼いの立場でモノ申そう




連日の報道を見たり聞いたりしているとだんだん混乱してくる。鶏の病気のことなのに肝心の鶏飼いの視点がまるで欠落しているからだ。ワクチン開発用意とあるから鶏のそれかと思うと人間様用だ。

鶏飼いにとって今直ぐ欲しいのは、また現実に要るのは実際被害を被っている鶏用にきまっている。NBIには既にその用意があって許可申請しているのにとりあえずは駄目だという。79年前の鶏ペストだってきれいになったじゃないかという。そういうのを時代錯誤と言うんだと思う。それにウイルスという言葉すらなく濾過性病原体といっていた鶏ペストの時代だってちゃんと不活化ワクチンを使って居る。現にNBIは良い不活化ワクチンがあると言ってるのに、家保の通知もNHKの子供新聞もワクチンはないと言って居る、家保のいう「ない」は鶏用のことで、あっても許可されてないという意味、子供新聞のそれは人間用の意味にも取れる。ことほどさようにややこしい。とりあえずは鶏の病気、有効なワクチンを使って一刻も早く鎮圧すべきなのに、あらゆる点で比較検証もしないまま、いろいろな危機感が先行してすっかり分かりにくくして、ますます人々の不安をあおる結果になっている。

一方で発症鶏を埋けたから近々安全宣言を、なんてジョーズの映画そっくりだ。ワクチンを使わない理由のひとつにワクチンを使うとウイルスの侵入経路が分からなくなることがあるとか、そんなことは鶏飼いにとってはどっちでもいいことじゃないのか。緊急時には行政以上に縦割りで視野の狭い学者の研究都合より、現場の必要性、国の財政、当事者を含めた国民の安心感を優先させるべきではないか。その学者がまた渡り鳥だ、いや違う、人か車だと言い合って居たのが結局渡り鳥ではない説が勝ったらしい、なぜなら渡り鳥のそれは弱毒だからだという。そりゃあ疫学的に見ればそうだろうが環境的にはいくらだってくっつけて飛んで来る。人や車にくっつくものなら渡り鳥の羽にだってくっつくわな。それなら何も消去できないじゃないか、実態から見て消去できないものを疫学的に簡単に消去して結論づけてしまう、学者のこわさだ。それにそう断定するほどその渡り鳥の弱毒が変化しないのならやたら恐れていないで飼い鳥も弱毒ワクチンで同じ状態にすべきだろう。第一渡り鳥がもっているのに清浄化とはどういうことだい。強毒と弱毒の違いだけなら繰り返すように飼い鳥も環境にあわせて野鳥と同じ生ワクを使えば事足りるだろうに。

そのレベルで危険なら渡り鳥は来ないようにしなくてはならない。トウカンヤの掛け声のなかに地方によってこういうのがある「唐土の鳥が日本の国へ渡らぬ先にハシたたけハシたたけ」なんでも昔、唐の国、揚子江の上流にチンという毒鳥がいて大挙して日本に飛来するのを防ごうと海岸でカネ、タイコを打ち鳴らしたという、まあその辺に戻るんだな。

しかしとりあえずは明日のウイルス変化の心配より、少なくとも鶏飼いなら今の被害の心配を優先させるべきだと思う。考えて見ると鶏も牛もかわいそうなもんだね。生き埋めにされる鶏を見せられて、みんな平気なのかね、良いワクチンがあるというのにねえ。とテレビの前でうなっている毎日、 日記をつけているうちにだんだんばからしくなってきた。 それに老いぼれ元鳥飼いはいいかげんに黙れと怒られそうだ。ハイハイもうこの辺にしておくよ。    おやすみなさい。

今日の日記から H16 1 17 篠原 一郎