鳥インフルエンザ問題の今後(173)



「糞中の蛆虫は外の清きを知らず」と小説<親鸞>の中で吉川英治は信仰心のない、この世の人間に対する親鸞の言葉としてそう書いているが、養鶏業界というような、特殊で小さな糞溜めの中でうごめいている我々は特にそんな思いが強い。羽化も出来ず、ひたすら糞中に止まって切磋琢磨とは似ても似つかぬ、うごめくだけの一生を過ごした観がある。しかし、そんな中で生産物を通して知り合った、多くの師、そして一事の師は何物にも変え難い。友達客の有り難さである。

ところが息子たちが人並みに始めたインタネットやホームページは、また全く異質なもので面食らうことが多い。そんなところへ、当たり障りのない日記でも拡げる積もりで、実名で飛び込んだ無謀さを今更ながら恥じてもいる。ただ良いこともあった。笹山道場などで、我々の糞溜めとは一味違う匂いを嗅がして頂く楽しみである。

「休みがなくて大変だな」とねぎらうお客さんに息子が「親父の頃は30年間、無休でしたから」と答えている。そう、ただ体を動かし続けるだけで、もともと無学文盲の我々としては、その合間に、せめてもの知識を得ようと懸命だった。研究施設にも入り浸った。給餌は暗くなってカンテラを点けて行った。全体がそんな時代で、餌屋の番頭さんたちがロイコの秋庭さんの先導をしてヌカカを採取したり塗抹をとったりした。栃木の氏家家保に伊藤さんという熱心な人が居ると云って、押しかけても居たようである。家衛試も、椿原さん、安藤さん、角田さんらの各室長、秋庭さん、堀内さん、渡部さんなど多士済々だった気がする。山一という餌屋さんも熱心で福島出身の加藤さんという人が指導して回り、坂井さんという若い獣医さんがその後を受けた。

いま息子達の環境は全く無味乾燥である。学者、研究者のほうもそうらしい。一面便利になってインタネットで何でも見つけられる。だから寧ろそれと区別するために、百姓としては必ず身近にあったエピソードを添えるようにしている。

余談が入ったが、その笹山道場の《とき》様の言葉は現場の参考になることおびただしい。し、ブログ内での掛け合いがまた楽しい。やはりこれからはホームページにも、何らかの意見交換場所、伝言板的存在が必要だと改めて感じる。ただそこが目茶苦茶にならないためには、やはり筋の通った論客が必要で入れ物だけではまたどうにもならないのだろう。

普段、異端視されているであろう我々としては特に、時には強く批判して頂くことが必要だが、それも得てして公的見解や法令遵守の立場からの内容のないものが多く辟易させられることが多いが、その点が《とき》様のは全く違う。賛成、不賛成よりも、ああそんな考え方があったのかと気づかされるところがすばらしいのである。

こうやってみていると貴重な意見交換の為の掲示板も、荒れ果てたり、登場人物がいなくなったりで消滅していくものが多いが笹山道場と《時》師範の武運長久?を祈りたい。

H 18 7 1. I,SHINOHARA.