鳥インフルエンザ問題の今後(171)



先日のOO先生との仮説対談を続ける。ウイルスが種の壁を越えようとするときは、新しい宿主を殺して自分も死に絶えることを目的とする筈はなく、共存して、より進化を遂げようとする行為に外ならぬと考えれば、強毒、弱毒の区分はウイルスそのものよりも宿主側の要因で決まる部分が多いと考えたほうが自然である。

これまでウイルス感染を防ぐのに獲得免疫の重要性ばかりが問題にされ、新しいH5N1がパンデミックを起こした場合は獲得免疫がないからひどいことになるだろうと我々は脅され続けているところだ。ところが東南アジアでの人の死亡例などからは、むしろ免疫系が過剰反応して多臓器不全をおこすことが問題視されている。

とすると、やられるのは寧ろ先天性免疫、つまり遺伝的に抵抗勢力の強い人達である可能性が高い。スペイン風邪にやられた4000万人はむしろ抵抗勢力だったが故に殺されたのかも知れない。繰り返すように自然界のウイルスにとって宿主を殺して自分も滅びることを目的とする訳はなく抵抗するものだけを殺してしまえば後は仲良くしようということになる。馴致であり馴化である。

我々がインフルエンザウイルスを理解し得なかった最大の原因は彼らの目的を、宿主を殺すことにあると勘違いしていたことかも知れない。本来的には彼らは抵抗勢力がなくなることで殺戮をやめるのであって、後天性免疫で防御を固めようとすることは、彼らとの争いをより長引かせる結果にもつながるのだろう。最終的にウイルスと仲良くできる人達が生き延びるとしても人間側もそれだけでは済まされないから、やはり免疫を獲得して防御しようとする、それがワクチンによる疑似体験であり、実際の罹病体験である。

ウイルス側の変異とか強弱だけで考えると、浅田農産の事例での河岡教授の説明で、鶏に対しては同じ強毒のウイルスが、マウスに対しては、その毒力を香港の事例と比べて50万分の1に減じていたという。どうも普通に考えるとウイルスの変異よりも宿主の差異のほうが大きそうである。

さて茨城株だが、茨城の鶏が後天性免疫を人為的に付与された形跡はむろんない。既に馴化しているウイルスは何の抵抗もなくウインドウレスにも侵入した。ただ未だ抗体反応があるだけ仲良しになりきっていないのか、それがむしろ仲良しの証拠なのか。また中には隣合わせの解放鶏舎の鶏でも抗体すら示さず、まるで受け付けない奴もいる。ただ最終的に茨城半国から外へ出ないというのは、さすがにうさん臭いが、人間の例を見ても、隣の鶏群に移らないのは大有りである。

これらはまだ何一つ解明されていない。仮説にもなっていない。ただ何故生体は予めレセプターなどというウイルス受け入れ用具を準備しているのかという疑問は、最後には仲良くする為の手立てなんだという想像はつきそうである。

H 18 6 29. I,SHINOHARA.