鳥インフルエンザ問題の今後(167)



生産現場にとって<存在するもの>を<存在しない>とされているほどやっかいな事はない。《清浄国論》の怖さはそこにある。SEでは福岡の大手孵卵場がやられた。O−157ではカイワレ業界がつぶされた。茨城の問題もまた然り、こんなことをいつまで繰り返すのか。清浄国論のもとでは<存在する>という公的証拠は得られない。したがって現場は、そこで得られるガセネタを含めた情況証拠を集めて、せめてもの対策を立てる以外ない。

茨城問題でも、頼りになるのは実際的な情報に接し、的確な判断を下せる地元の有能な獣医師の存在だった。(こんな鶏を殺し続けていいものかどうか、否、殺すべきではない)としたその判断は、立場を越えた獣医師の信念であり良心であろう。それを公的機関の最前線にある家保自身がコンプライアンスを盾に「獣医師にあるまじき魂を無くした行為」と断罪したことを今回初めて承った。存在していたからこそ拡がっていたのではなく、初期の通報遅れ、遮断の不備、悪徳獣医師の存在、直売農家の無知によって、人為的に拡げてしまったという解釈である。「従って今後は監視をより厳重にして検査摘発を厳しく行う。ついては国も各地方も、これに則った対策を立てて貰いたい」というのが地元の要望と云うことになる。

これを受けて国の立場の発言も「茨城は弱毒だったからこの範囲で収まった。これが強毒株だったら日本中の鶏がいなくなった」というものらしい。聞くに耐えないと感じたのは私だけだったのだろうか。がっかりして日記にしるしたのが(167−1、2)だ。もうどうにでもしてくれという心境である。

鶏飼い百姓の私がBSE問題までどうこう云う大それた気持ちはない。しかし昨夜の面白番組で、NHK週間子供ニュースをかつて担当していた方がコメンテーターとして「いい加減な検査で、危ない牛肉を食わされて居るアメリカ人は気の毒だ。日本の消費者はそういってやるといい」と発言されていたので、さすがに首をかしげた。この意識で世界中を相手にするから、逆に馬鹿にされるのだ。いい加減な検査で危ない牛肉を大量に消費している米国人は、賢い日本人の何十倍の若年性アルツハイマーを発症しているとかの科学的データーでもあるのなら仕方がないが。

最初イギリスで問題視された、これまでと違う若年性のアルツハイマー症の原因が牛のカルシューム源であった羊の骨粉中のプリオンというタンパク質であるとされ、へたり牛とスクレイピーによる羊の症状が似て居るところから、その共通物質のプリオンが疑いを持たれたことがそもそもの発端である。ならば大本の羊はどうなのか。

羊の<腰マヒ症>は古来、ヤギ、ヒツジ固有の疾病だった。我が国でもかつて落下傘需要から羊の大量輸入がおこなわれ、埼玉県でも豪州からメリノー種を輸入して秩父に緬羊場を作り繁殖を試みたが、子羊が片端から腰麻痺にやられてしまう。遂に責任問題になり、担当者は赤紙にすくわれたなどと笑えぬ話も残って居る位だ。しかしそのラムのジンギスカンのうまかったこと、因に私の親父は当時、畜産主任官として、その場長を兼ねて居た関係もある。戦後、緬羊場は羊山公園となり羊は種畜場に移されたが腰麻痺は相変わらずで、場には沢山のジンギスカンナベが用意され、知り合いの藤田技官はそのタレ作りの名手だった。

そんなこともあって私自身は、その流れのなかでの牛肉は一向に苦にならない。同じ偶蹄類であって報道のされかたが違うだけである。それよりもドイツから輸入された硬膜を移植された十数人の患者から高率でアルツハイマー患者が出たたった一度の報道のほうが余程気になる位だ。

H 18 6 26. I,SHINOHARA.