鳥インフルエンザ問題の今後(163)



鳥インフルエンザウイルスの性質を予め、かく有るべしと決めて掛かれば先日の家きん疾病小委員会と感染経路究明チームの合同会議の発表のように「不自然な点があった」と云えるかも知れないが、まだ全体像も全くつかめて居ないウイルスの或る一点だけを取り上げて、不自然だなどと決めつけていい筈がない。我が国の研究者たちはこの期に及んでも、まだ鳥フルウイルスは野生の水禽類のものだと一方通行の形しか考えていないことになる。

H5N2が家禽類に馴染んで分かって居るだけでも十数年経っている。研究者たちの云う変異の速さからしても、野生のそれよりも家禽類、そして場合によっては人間に馴染み易い、無毒型、弱毒型があったとしても少しも不自然ではない筈だ。もともと茨城株を人為的なものと決めつけたのも、そんな一つ覚えのこだわりを、先に立つ面々が捨て切れなかったからである。或いは「ワクチン原因説、よしこれで行こう」という了解が予めあったことさえ疑われる。

今、アジア、ヨーロッパを股にかけて席巻しているH5N1にしても、明らかに本来は無毒の筈の水禽類に毒性を広げている。今となっては逆に同じ株で鶏には毒性がないものがあったとしても不思議ではない。決めつけてはかかれない筈である。そんなお上による思い込みや決め付けをおかしいではないか、という者が現れると、逆に「決めつけるな」と云われたりする。難しいものである。

だが実際、茨城株が鶏に馴染んでいて、アイガモには感染しなかったから自然株としたら不自然だなどと決めつけられるほどインフルエンザウイルスが単純でないことは、もうはっきりしている。暗闇で象の尻尾をさわって、象とは蛇のようなものだという話に等しい。決めつければ決めつけるほど現実離れがひどくなる。

茨城の事例は「何の参考にもならない。誰かが勝手にウイルスをばら撒いただけでしょう」(鶏卵肉情報)という専門家がいるのなら、殺された600万羽は何だったのだという反省が欲しい。江口獣医師達は本当にそんな有り得ないような<既成路線>を証拠だてる為に、未だに捜査追求されているのだろうか。それならばそら恐ろしい限りである。ただ「日本には低病原性の防疫指針など必要ない」と同じ専門家が云うのであれば、それはその通りだとも思う。そこまで対象を拡げたら燎原の火は止めようがなくなる。やはりそこだけは基本に立ち返り致死的発症を見逃さないことに集中すべきだと考える。

その意味で茨城のH5N2とイギリス、ノーフォークでのH7N3は同列には論じ難い。向こうは明らかに発症という実害を伴っているからで、それも一部強毒致死的発症であるといわれる。なのに無毒のこちらは皆殺しである。誰だってそれはないだろうと考えて当然である。茨城県は更に対策を強化するとあるが、先の譬えの、象の尻尾だけを捉えての対策は全体像を見誤るだけで労して功なしである。大きな犠牲を払って象の尻尾を切り落としても全く意味はない。茨城600万羽は疑似患畜、もしくはそれに準ずる扱いによって殺された形だ。為政者にとって「闇ワクチン接種路線」は都合が良く、また必要欠くべからざるものとして、今後もそれを補完する形の都合のいい報告に終始するであろうことを憂うのである。

真偽の程は分からぬにしても、相変わらず隣国の諸情報は戦慄に値する。それらを勘案しない合同委員会のいう「不自然さ」など「路線」を守る方便に過ぎないと感じる。

H18 5 27. I,SHINOHARA.
No.20325