未知との遭遇



振り返れば我々は常に映画の題名さながら、未知との遭遇を繰り返しながら生きて来た。

私が学び始めた頃は養鶏はかなりリスキーな仕事とされ、前年は宮寺で進駐軍の残飯からNDが発生、駆り出された獣医さん達はワクチンの静脈注射をやらされたと聞いた。これから作られたB1のワクチンは宮寺株として永く使われることになった。

昭和28年、大西博士の指導で農林省大宮種畜牧場にラーナーの、レシプロカル リカレント セレクションが導入され、伊藤俊一郎場長、広瀬課長、長谷川成鶏係長(関先生も検定から衛生係長として居られたが)等のもと13−30号系A,B,Cと24年に搬入されたハンソンZの四系統の交配がおこなわれ成功しつつあったものが、数年後、関寺場長の時、非特異反応のため陽性鶏全部が淘汰され、父の旧知の伊藤場長に、若手のブリーダーがいないからやってみろと館林の大久保さんを紹介され橋本さんから浦上さんにまわった4−42号系、と払い下げのそれらの系統を交配するなど(当時、純系の卵は1ケ4000円、米1俵の値段だった。)していたものが水泡に帰したのを初め、伊勢湾台風、その後のND,IBなどいずれもこっぴどくやられただけに、東農大教授になる前の砂川さんが千葉県開拓課補佐として「鶏の研究」に持論を展開していたときも、その後、教え子の皆さんが「八日会」メンバーとして大規模経営を目指して、展開された時も瞠目しながらも危惧するところもあり、息子達にはコロガキ流(ヘタなり小さくかたまる)でやらせてきたが、いずれも幾分考え直す時期に来たのかなとも感じている。

今回のトリインフルエンザの大流行では、国際健康三機関のなかでワクチン接種を勧めるエキスパートの人達でさえ「我々を救う青写真はない」とした上で、それでもワクチン接種が鳥と、そして可能性としてヒトの間のウイルスを減らすことを期待し、強毒H5N1ウイルスに対しメーカーも妥協することはやむを得ないとして、三種類の既製のアップデートされないワクチンの使用を、それでも強くurgeしているが、同時にその作業の困難さを訴え、そして必ずしもhighly effectiveではないとしていることも確かである。

強毒H5N1ワクチン製造の難しさについては既に二年前のNBIシンポジウムの河岡教授の講演で知らされているから妥協のやむを得ないことは理解出来るし、専門家のだれも青写真が描けず、blank piece of paperでのスタートをよぎなくされているとしているなかでも、各国の成功例、就中、最近報道された、同じH5N1に対する香港の成功例を特に注目したいし、不成功らしいとはいえ南中国でのH9による粘膜免疫による実験、更には河岡教授のコピーを作らない半生ワクチンなど臨床的に未知への挑戦を続ければ、いかな強敵でも必ず突破口はあるものと信じたい。

今の日本政府当局のように、変な現実への楽観論と先走った恐怖論、そのくせ全く無為無策のまま、敵の軍門に降ることは、如何にも口惜しいではないか。どうなるか、結果はまだ未知なのだと云うことは、専門家も学者も我々現場も同じということで、突破口はむしろ現場が切り開くのだという気概が大切だ。そのために政府役人も、ワクチンに反対する学者たちも本当には分からないことで、邪魔をしないで貰いたいものだと思う。少々不遜に過ぎるか。

H 16 2 10  I,S