鳥インフルエンザ問題の今後(150)



このところ情報が錯綜して来た。一種の危険信号である。生産者としてもここまでは消費者側への風評だけを気にして居れば済んだが、どうもそうは行かなくなって来たようだ。その一例が一部マスコミが報道した欧州からの原種鶏の輸入停止問題である。

我が国の養鶏産業が戦後急成長した一つの要因はこの輸入種鶏にある。昭和20年代後半にアメリカから集団遺伝学が紹介され日本の農林省も大西博士らの指導の下、大宮種畜牧場を中心にそれに取り組んだがヒナ白痢の非特異反応問題を契機に瓦解した。それまでの個体選抜と違い、この方法は膨大な育種規模を要する。個々の県、種鶏場の規模では名古屋種に見るように生産量でも地鶏に毛の生えた程度にしかならない。よってその種鶏の大半をハイライン、デカルブなど当時の世界的規模の育種会社に頼ることになったのである。そしてその流れは幾多の消長を経て現在まで続いて居る。卵や鶏肉の生産は、この輸入原種鶏、種鶏、コマーシャル鶏生産の流れのどの部分に支障を来しても頓挫する。生産者にとって実はこれが一番恐ろしいのである。生産物は否応無しに輸入品に取って代わられる。

鳥インフルエンザはヨーロッパの種鶏生産国に拡がり、残されたアメリカ、カナダも時間の問題と現地はとらえて居る。それなのに日本は一部にコンパートメンタリゼイションの考えが出て来た位、それも大分捉え方が違って居て自分だけを隔離して考えるような見当違いなものが多く、素ビナ問題一つとっても通用しそうにない。今の流通飼養形態では、そのどの段階でも国内での飼育延長、ストックは出来ない。第一国内が安全という訳でも無い。昨今の鳥インフルエンザの拡がり方を見れば、豚コレラと同じ対策で良い筈はもともと無いのである。そうでなくても効率を追うあまり採卵鶏の経済寿命は短くなる一方だし、ブロイラーは云うまでもない。それに卵質そのものが落ちて来て、サイズ的にも不具合が生じる。正にお手上げである。

さりとて石油ショック時のチリ紙争奪戦の二の舞いは御免こうむりたい。しかし国がコンパートメンタリならぬメンタリティを変えてくれねばどうにもなるまい。まあ一方でヒナは手に入らず、鶏肉も卵も貴重品になるならば、飽食、選び食い、食い散らかしの日本人もちったあ考えるようになるかも。

情報の錯綜と云えば、期待したり皮肉ったりの《喜田ワクチン》ならぬ北大のワクチン開発情報も、不活化であったり、皮下注射であったり、遺伝子組み換えであったり、特定の使用目的があったりとどうも釈然としない。都合の悪いところを避けて居るようなそんな気さえする。もっとはっきり紹介しても良いだろうに。更にそのお膝下の海鳥やスズメの件も大量死するからには何でもない筈はないでしょうが。注意しないと、みんな愛鶏園の二の舞いになるよ。

H 18 4 11. I,SHINOHARA.