どこまでも 腑におちぬ農水省の発言



写真週刊誌FLASH2月24日号『鳥インフルエンザの闇』という現地取材の記事内容はさすがに深刻だ。やはり業界の危機である。同じ思いはホームーページ仲間の鯉業者、錦鯉愛好家の方々からも伺って居る。殺処分で自然のウイルスを絶滅させようなどとは人間の奢りだと。

鯉ヘルペスの場合は自然の河川までおよんで、生け簀の鯉を殺してもどうにもならぬことが分かって居て、しかも食用には安全だとしながら文字通り殺戮している。腹立たしい限りである。この人間の奢りのなかで鶏の運命も推して知るべしである。どちらも処分を受ける代わりには徹底して救済させるべきだ。国の経済にとっても大損害となるよう、うんと税金をつぎこんで国民の批判も浴びさせるべきである。そうしなくては経済音痴の役人や学者連中は何時迄経っても分かろうとしないだろう。陳情するか、旗を押し立てて戦うかはその人それぞれの立場による。

その記事の中で、農水省は同誌の問いにこう答えている。それを検証したい。

『日本では 鳥インフルエンザのような海外病は見つけたら殺す。 諸外国でも発生のない国はそうです。 それにワクチンは発症は弱めるが、感染は防げないので防疫上は効果がない。 ヒトの場合は感染したら殺すわけにはいかないのだから、ワクチンといっても、ヒトと家畜の場合は意味が違います。』(消費安全局衛生管理課)

この内容がその通りの言葉だったとしたら、ことここに至ってもまだ農水省がこんなノーテンキなことを云っているようなら、近い将来、自家の鶏を殺処分する時に備えて、私自身の主張も準備書面化しておく必要がある。私の場合は間違っても、金銭的請求ではなく法解釈、その施行など行政に対する疑問を解く為である。その時は、過日の専門小委員会での個々の委員の発言内容なども重要な証拠となり得るから公開法に基づいて議事録の請求なども必要になるだろう。国といえども1対1 の対応となるのだから、鶏飼い百姓のたわごとでも真摯に考えるところは考えて貰いたい。 それで上記農水省の答えに、もうさんざ繰り返しになるが、準備書面のつもりで、一句ずつ反論する。

我が国は既に公表された1件の発症を受けて、国際的にも汚染国のひとつである。実際の汚染の捕らえ方はその疾病の性格にもより、広範囲の汚染が予想される本病の場合は、その1件の公表例と云えども、そのように対処すべきは当然である。

本来、家畜伝染病17条の殺処分はその疾病を根絶することを期待したものであるが、その施行にあたっては、当事者から地方、さらには国の経済に及ぼす影響が甚大な為、ややもすれば隠蔽に傾き、後に、より重大な結果を招来するに至ることは諸外国の例に見る通りで、外国の論文でもそのことを警告している。

繰り返すように、あくまで外国の例として見るかぎりは、殺処分を振り回すことは、かえってその病気の根絶を阻害する一面があることも為政者は考慮すべきで、実際の運用では、むしろ社会心理学的な考察が必要との意見も多い。周辺国の状況を見て、そして2月5日のFAOなど三機関の呼びかけもあったことで、これ以上鶏生き埋めの悲劇を繰り返す必要はなく、無理に1件だけの鎮圧にこだわって、あとでビクビクするよりも、素直に勧告を受け入れて、有効とされるワクチンでくまなく防御して、次の発生を未然に防いだほうがよほど得策ではないか。

それに、たまたま一塊のウイルスが当該養鶏場の一羽の鶏に取り付いたとするような研究者の発表を鵜呑みにする鶏飼いは実際には一人も居まい。たとえニューカッスルが我が国では事実上過去の病気ととらえられていたとしても、そのワクチンなしでは怖くて鶏など飼えたものではない。それが鶏飼いの基本心理で、況んや管理者にうつることも有ると云われるトリインフルエンザに於いておやであろう。

この至極当然のことが受け入れられぬ裏には、2年来のNBIの申請を無視し続けきた農水省、自らの研究に拘り、ワクチンの有効性を認めず明らかに誤った方向に導いてきた研究者たち、それを糊塗するために、その主張に反してワクチンの備蓄をほのめかし、最もワクチンらしからぬ使い方を指示する等、子供だましもいいところでむしろその実害は犯罪に等しい。国内での続発を云々すること自体、クイズ番組の見過ぎであり一旦発症を見た上は、次ぎもあるものとして対処するのが当然であると揶揄したが、ここに至るまで準備をおろそかにし、ひたすら続発のないことを願うあまり、この先何年も続く問題なのに、なんの根拠もなしに「鎮圧に成功した」と強弁するなど、あまりといえばあまりであろう。誰が考えても次ぎの発症を防ぐことが、あらゆる面で一番大切であるのに、あえて次ぎの発症があった場合としているのは、なにも準備していないからである。それだけに続発した場合が恐ろしい。本当に消費は止まり、業界は壊滅しかねない。そんな危険を犯さざるを得なくしたのが、役人とそれを先導した学者たちである。

発症を押さえて感染を防止するタイプのワクチンで実用化され実際の防疫に役に立っているものは沢山ある。外国の研究ではトリインフルエンザワクチンもそのひとつだ。その辺のことは、マレックワクチンの例なども挙げてワクチン関係者の証言に待ちたい。実際自己の所有する鶏が処分されるまでは、私の立場はあくまでイザヤ.ベンダサンである。

トリインフルエンザが鶏の病気から人獣共通感染症になり更にはヒトのインフルエンザに変異する恐れを警告しているのはWHOも含め、政府お抱えの学者、研究者達である。そのことの重大性を踏まえた上で述べて見たい。

激しく発症して居る最中の鶏を処理する危険性については、たびたび述べられWHOなども防護服、専用マスクの着用を勧めて居る。ただそれに先立つプレ発生では、従業員は普段の作業を重装備では行えないから、いつ危険に遭遇するか分からない。その点、ワクチンで防御している鶏はウイルスの糞への排泄もほとんどなく管理者への感染の危険も避けられるとされているので、ニワトリへのワクチン接種は前から述べているように、先ず従業員の安全の為に必要であるとしての主張を繰り返して居るのであるが、前記農水省の担当者はそれでも、ヒトと家畜の場合は意味が違うという。

さしずめ養鶏場の従業員はヒトではないと云って居るに等しく、この発言は重大ととらえて居る。これも証人として要求すべきだ。各紙の取材などもお客が減ったろうとか、卵が売れないだろうとかいうのがほとんどで、それも大事なことかも知れぬが私とすればもっと根本の、従業員が安心して鶏に接する事が出来る対策をこうじて行くことが、養鶏業を営む者の責務と考え、そのことが、そしてそう考えることがむしろ消費者に訴えて行く筋道であると思っている。

一旦鶏が発症した時の危険性は、国立感染症研究所の指摘の通り飼養羽数のいかんを問わず、東南アジアの例をみても庭先養鶏から大規模養鶏まで同じであり、従業員の安全を考えてものを云い、それで風評が立つならそれもやむを得ない。逆に従業員を見ていてくれ、彼らが居るうちは安全です。と云って居る。

さて、ワクチンの準備とその使い方の指示について、政府の専門家委員会は素人集団だと云った事に関してもう一度申し述べる。

繰り返すように今回のアジアでの異常発生は、その病気の性格上、豚コレラ対策と違い(NBI)全体をひとつとして考えねばならない。この辺が先ずFAO,OIEなどと日本の認識の違うところで、どちらが正しいかは歴史の証明を待つまでもないが、その卑近な例としてアジアをひとつの養鶏場としてワクチンの使い方を考えて見よう。

その中の日本という一つの鶏舎を特別扱いしようとして周囲の鶏舎だけワクチンで防御すれば、そこは常にウイルスの侵入と殺処分の危険に晒され、周辺との抗体の平準化なくしては本来不可能な安全を、無理に保とうとして殺処分を繰り返しつつ、永久に周りの鶏舎と隔絶しなければならない。

特に農水省が云うようにワクチンでは事実上防御が出来ず、不顕性感染が混在して返って危険との見方をすれば、周りがワクチン接種を止めない限り 交流(輸出入)は有り得ない非現実的なことになり、またしても言い逃れと自己矛盾を繰り返さざるを得なくなることは火を見るより明らかである。

これが現在の我が国の置かれた状況だが、このことは不幸にして現実に国内に第二、第三の発症を見た場合も同様で、日本という狭い国の中で、こんなワクチンの使い方はもともと有り得ないという事だ。一つの鶏舎だけでワクチンを打つことも、ひとつだけ打たないことも、その使い方としてはなっていない。

周辺国、まわりの状況に合わせることがFAOなどの云う通り一番大切な事なのであり、日本が緊急事態に備えてワクチンを用意したなどという戯言は、その数量、使い方からして言い逃れ材料に過ぎないこと、それを決めた小委員会の面々にとってはワクチンを備蓄すること自体すでに自己矛盾であり、もともとその気がないことははっきり分かって居たし、その人達が先導する国が、三機関の推奨を無視せざるを得ないことも容易に推察出来たのである。

第一、今から手当しても間に合うまいが、これらは国として実に危険な綱渡りであることは云うまでもなく、いくら自分の食の安全を優先する国民でも安い牛丼、焼き鳥に限らず次第に飽食が崩れて行くことになるのは見て取れよう。

本当はこんなに多言を要する問題ではない。充分研究され効果が確認されているワクチンを使って、鶏とその従業員を守ることが、人類を守ることになるということだけなのだ。


H 16 2 10 I,S