鳥インフルエンザ問題の今後(140)



《清浄国論》の我が国ではありふれた病原菌でさえ皆外国から移入、それも人的に持ち込まれたとされる。従って必ず犯人が居ることになる。記憶に新しいのが<O−157>である。最後には、とうとう輸入のカイワレ種子が犯人にされた。今となっては流石にあれを信じて居る人は居まい。

前にも書いたが「O−157を含めEコリーなんか何処にでもいる」とSE(サルモネラ・エンティリティディス)を含め、当時、県の養鶏技術会議で、そう発言した私は総スカンを食った。「お前が帰った後、養鶏試験場長が、彼奴の云うことは聞くな、と皆に云って居たぞ」と友人の県職員、林さんらから注進を受けた。昔は牛一頭を飼育するには3反の圃場が必要だと云われたが、近年は濃厚飼料の割合が圧倒的に多くなり、腸内の細菌分布も変わりEコリーの被害も問題視され、既に埼玉の或る幼稚園で園児のO−157による感染死が起きて居たのであるが、それでも次の給食センター事件では最終的に輸入のカイワレ種子が犯人にされたのであった。同じようにSEの場合も垂直に辿られてA県のO孵化場が酷い目にあった。

このように、そこら中に昔から転がって居た細菌でも、清浄国論の手前、都合の悪いものは普段は絶対に公式には見つからないとされるが、その代わり一旦事件が起これば普段居ないとされているものだけに発見場所は酷いことになり、SEは輸入鶏、O−157はカイワレ大根の種子由来とされ、特定の犯人もでっち挙げられて、その理由の如何を問わず国民は納得してしまう。清浄国論ほど現場にとって怖いものは無い。何故なら普段有るものを無いとされているから、見つかれば忽ち固有の犯人となり、感染経路と勿体ぶられて芋づる式に犯人にされてしまう。そしてどういうわけか、そこ以外あっちにもこっちにもは、たとえ有っても見つからないことにされる。不自然であるがそれが清浄国論の扱いだったと思う。

今回の鳥フル茨城株も全く同様であるがたまたま、あっちにもこっちにも有ることが分かってしまった。云わば独立法人動衛研効果である。無い筈のものが広く存在するとなるとワクチンしかない。それが闇ワクの論拠の一つだろう。それも隣国から飛来の自然感染では清浄国論の手前まずいのだ。それで何時もの魔女狩りの矛先は本来は全く感染とは関係ないのに、手続きの瑕疵を問われて江口氏達に向かったことになる。

SEの如きはネズミ、犬、猫、その他のペット類などこれだけ身近かな動物に広く分布し、古典的な教科書にもそのように書いてあるものが、イギリス農相の発言と国内の論文の提出もあり、練馬事件以後は鶏と卵が固有の犯人とされて定着してしまったままである。確かに鳥フルウイルスの発見は技術的に難しいのは分かるが、もっと大きい、そして同じようにありふれたO−157でさえ、いざ見つけようと思うとあんなに見つからなかったのだ。一方で牛の居るところ20%では見つかるとの記述があってもであり、そんなものはガセネタとして公式には一顧だにされなかった。

このO−157の事件一つを見ても、清浄国論の旗の下では微生物については常識の通らない世界なのだ。浅田事件では老夫婦を自殺に追いやる非難の先頭に立った識者達も、流石に今回の江口獣医師達の件ではたたらを踏んで居るのか誰もなにも云わない。それでもマスコミはカイワレ事件を教訓ともせず、清浄国論について考える事もなく、食の安全さえ口にすれば権力の側に立っても一向に批判を受けないのをいいことに涼しい顔で魔女狩りの先頭に立つのだろうか。

H 18 3 7. I,SHINOHARA.
No.19078