国の基本的な方針は《清浄国論》である。しかしそれと同義に受け取られている《清浄化論、撲滅論》の思想は貿易問題とは無関係に純粋な防疫方針として末端の獣医段階まで染み付いている。朝日新聞のマイタウン茨城「江口容疑者一問一答」でみる限りでも、当の江口さんも「世界中(日本中)から鳥インフルエンザをなくしたいと思って居る」と答えて居る。これが撲滅論であり、こう答えなくてはこの国では公の仕事はさせて貰えない。小委員会とて同じでありコンプライアンスそのものである。 ところが持論では喜田委員長は「ウイルスとは仲良くすべきだ」と云い、江口さんの「(茨城株のような)弱毒性の鳥インフルエンザで鶏を殺処分する必要はない」発言も同じ趣旨である。大体一口に弱毒性と云っても宿主の条件でもピンからキリまである。茨城株は私の聞く範囲では宿主条件の如何を問わず不顕性であり、無毒である。弱毒株でもガルシアさんの講演でのメキシコ株は産卵は回復しなかったそうだ。韓国の場合もそうだという。腎炎型IBも斃死はないが産卵はほとんど回復しない。これだと淘汰以外ない。愛鶏園の場合もそれなら淘汰されている筈だ。隠すも隠さないもない、経済的に置いてはおけないのだし管理獣医もいる。発症はなかったとするのが当然だし、その言い分さえ通らないのなら獣医師って一体何なのだ。 人間の場合も、在来型のインフルエンザで国内だけで推定15000人も死んで居るというのにインフルエンザによる死亡と書くことは稀である。鶏や豚では分かりっこない。だから激烈な症状の浅田農産の場合など79年振りとされただけかも知れないのだ。そんな酷い症状を伴うものなら嫌もおうもないが、独特の症状もなく、規定外の検査に持ち込まなくては分からないようなものを清浄国論の我が国で公にする愚は避けるのが当然ではないか。 そんなものとは仲良くする以外ない訳で繰り返すように日本でも環境中に散ったであろう茨城株を含め、LPAI存在の情況証拠は山ほどある。それらが強毒変異したりすることがあるかも知れないが、その懸念だけで、やみくもな検査で暴き出して鶏を殺し続けるのは無謀以外の何物でもない。国は症状が無くても、ワクチンを打った事実があれば疑似患畜として摘発出来るから、闇ワク疑惑を打ち出したが、その事実が在るはずも無く、最後の監視鶏の処置にもまごついた。疑似患畜でなければ殺処分の手当も出せないからだ。 また立件を視野に瑕疵を問われ、発症に当たらないものまで発症とされて管理獣医師の責任にされるとしたら、それだけであたら有能な人材が切って捨てられることになる。抗生物質、抗菌剤を一切使えぬ採卵養鶏は病気の治療は行わない。それで責任だけ問われるとしたら養鶏場の子弟を獣医にするのは今後は考えものである。 いくつもあった感染の兆候などと新聞は書くが、そこで云う呼吸器症状や産卵低下は、ここ10年来の一般的傾向に過ぎず、そのような悩みは豚でも牛でも同様である。それを簡単にアウトブレークと混同すると「生兵法は大ケガの元」にもなるし国の清浄国論もなりたたない。現に繰り上げ淘汰もないところを見ると、そこから一歩も出てはいないのである。また持論だけで捕まるのなら喜田教授だって同罪だ。 H18 3 5. I,SHINOHARA. No.19018 |