鳥インフルエンザ問題の今後(137)



国とすれば《清浄国論》の手前、国内に茨城株のような無毒不顕性のLPAIの存在を文章として公式には認めていない。しかし1997年の家衛試記録、野鳥からのH5N3に関する大槻教授の講演録、動物検疫所の記録などから、その後の消長は不明ながら存在自体はあるものと認識せざるを得ないと思う。だから現場としては在るものとして対処しなければ判断を誤ってしまう。これを風説の流布と取られたら状況証拠の積み重ねで争うよりない。これが現場の覚悟でもある。

更にもっと切実な問題として、鶏の場合でも日常的なクシャミ、鼻水、鼻づまりなどの原因に所謂流感が絡んで居ないかは何時も気にしなくてはならない。去年が正にそうだった。韓国での外人による処理施設での調査から、今は全く弱毒化しED以外は不顕性のH9亜型が発見され、後に大槻教授が公表したように家禽の40%への浸潤が明らかにされたのである。関東地方の同じようなED情報から現場が確信に近い形で受け取るのはその嗅覚からして当然である。

もし《清浄国論、清浄化論》無かりせば、当然公の噂になり官学民一致の見解と対策が打ち出されたと思う。並び称されるか同一視されるが、この両者の扱いは全く正反対である。清浄国論は在るものでも危険性さえなければ無いものとする建前であり、清浄化論はどんな無毒なものでも見つけ次第撲滅するという思想である。その撲滅思想には必ずそれが可能かどうかの判断が要求される。その大切な判断をするのが現場のプロ達である。そして臨床経験のない小委員会の面々は、その判断を誤った。水海道時点で撲滅可能としたのである。

それに対しては阿呆の鶏飼いの私でさえ殺し始めたら切りが無くなると即刻猛反対した。況んや現場の専門家達に於いておやである。ただ阿呆の鶏飼いの私はそれを口に出せた。それでも仲間に異端視されることは決死の意味もある。でもあえてそうしたのはそのプロ達の真意を知って居たからである。それどころかお前だけが頼りだと云われたこともある。でなければこんな老いぼれが意気に感じることもない。尤も意気に感じたところで空拳を如何せんであるが。

ただ今度の逮捕劇で、業界の信頼を集めて来た人達でさえ手のひらを反されたような扱いを受けたことを知った。これが一番ショックである。《とき》様ではないが日本人そこまで堕ちたかである。法律に違反したから捕まった。ウソを吐いたのが悪いとするのは簡単だ。ただ何故業界トップの専門家がそんなことになったのか、動衛研の技師まで類が及んだのか。その根幹部分を明らかにしていかねばからない。刑事法廷は瑕疵を積み重ねて有罪にされるところだ。彼等を救えるのは、また救わねばならないのは業界仲間である。

私自身は業界をはなれて40年、無論若い江口さん達とは面識もない。でも雲の上と百姓との違いはあっても志は 所秀雄先生と一緒である。ひそかにでも業界の発展を思わない日はない。

H 18 3 3. I,SHINOHARA.
No.18990