なぜ我が国ではニワトリワクチン問題はタブーなのか



5日、ローマから発せられた三機関の声明も、私の最悪の予測通り、日本には全く受け入れられて居ない。日本政府はなぜ傲慢とも取れるほどの自信を示すのか。何故いまだに鶏のワクチンに関することはメディアにとってもタブーなのか。

すべては山口の一件を殺処分によって完全に封じ込めたという都合のよい過信からきている。
都合の悪いことは疑うこともしないのは太平洋戦争勃発時から変わって居ない。そのことへの反省は良く聞かれる、例えばいじめられて居る子供の発する信号をきちんと捕らえてやるべきだとか観念的には分かって居ても日本政府の習性は変わらない。

少なくとも鶏飼い現場の人間なら都合の善し悪しは別だが、あれで封じ込めたと信じているのはよほどの楽観論者であるが、その根拠には政治的、地域経済的などの理由から我が国ではこれ以上の続発は避けられるとのうがった見方があり、むしろ正論として通っているからだが、その代わり出てしまったらひどいよという危惧も聞こえるがそんなことになったら政府も学者も業界も一蓮托生だ。

行ける(埋ける)所までいけという大和魂論もある。ただこれも最近の流通販売現場はトレサビリティなどと云って生産者の代替が難しく、その特定生産者がやられると取引全体の信用にかかわり風評のもとにもなりかねない。だから生産者一軒一軒が大切であり我が国では政治的に一くくりにすることは出来ない難しさもある。

私自身は、FAOなどの要請を待つまでもなく外国での諸例、周辺発生国との位置関係などどれを取っても、緊急のワクチン接種以外ないと最初から云っているのだが、この方向は唯一、いまこの問題で日本を先導している学者たちのこれまでの研究に支障を来すことは明白な事実であちこちでささやかれていること、即ち、変異の激しいウイルスにアメリカの研究のような広い交差免疫を認めることは、これまでの貴重なコレクションが直接は無意味になりかねないこと、現場にとっては二次的な問題のワクチンが疫学的状況をあいまいにする問題も、その研究にとっては最重要な問題であることなどだが、何れも将来的には重要な問題であっても取り敢えずの鶏の病気の防圧には意味の無いことに固執する結果、重大な齟齬を来たすことは明白であると断言できる。

この上またアメリカからの鶏肉の輸入まで止めざるを得ないような 方向を早く転換するか国内の生産を安全にする方策(ワクチンを含めて)を一刻も早く取らないと食うものが無くなっちまうぞ。

H16 2 8 I,S