鳥インフルエンザ問題の今後(135)



戦前、親父に連れられて北大の圃場とおぼしき所に立ち寄った事がある。
捩り鉢巻きの勅任官という偉い先生が馬を診て居て曰く
『きみぃ(百姓相手ばかりで)獣医なんてつまらんよ』
今回の事件で農場付き管理獣医師の在り方が問われて居る。

わが家はまるごと<阿呆の鶏飼い>のままだが、有名な歌舞伎役者が「父親は小学校にもろくに行かないで人間国宝だが自分の子供は大学位は出して置かないとと迷う」と云って居たことがある。それでもって養鶏場も跡取り息子は獣医科にでもやっておこうと云うことになる。それに少し前までは4年制だった。学校では大動物中心で教えていたから鶏に関しては自分で教えることの方が多い。まさか学校で<清浄国論、撲滅論>を教える訳はないが、少なくともコンプライアンスを重んじる精神は身につけて来る。それに実際の危険性についてはくどいほどたたき込まれるから少なく共NHKクローズアップ現代のモデルのようなことはあり得ないのだ。

そして確かにコンプライアンスは重要だが、同時に自然の摂理に則ることをしなければ生き物は飼えないし人間自体生き延びることは不可能だ。<ウイルスと仲良くすること>は喜田教授の持論である前に自然の摂理だ。それを曲げて国の方針にへつらい阿るから「曲学阿世の徒」なのだ。分かったか。などと大先生に向かって偉そうな口をきくわけではないが、うちの中ではそうボヤく。

鳥インフルエンザに対する一つの説として、こんな話を聞いた。「生体が無数のレセプターを用意してそれに合致したウイルスを受け入れるのも、進化を求める自然の摂理であり、無理にこじ開けようとすると全身のサイトカインが猛烈に反応する。その為に反って生体が傷つけられて多臓器不全を起こし高い致死率になる。しかし人間に馴致してパンデミックになれば通常のインフルエンザとしてインターロイキン10も機能しワクチンも効果があるようになる。少なくとも初期にステロイドを使った危険な治療はしないで済み、通常のインフルエンザの死亡率に近付くだろう。」

無論、阿呆の鶏飼いの理解力だから大目に見て貰いたいが、流行当初は激烈な症例を見せて居た家禽のH9N2もメキシコなどのH5N2も、強毒の話は聞かなくなった。馴化した証拠だろう。人間のH1N1もH3N2も同様である。二年間だけあれだけ流行ったH2N2もどこかへ消えてしまった。人為的なものもあるが、多くは自然界でウイルス同士の干渉、競合などによって消長を繰り返し、それを利用しながら我々も鶏を飼って来た。つまりは喜田教授の云われるとおりウイルスを利用したり、時には手痛いめにも会いながら仲良くして来た訳である。実際は分からぬ存在の方が多いに決まっているが、そんななかで比較的身元がはっきりしているH5N2は最近反乱を起こしたことの無い部族だ。確かにペンシルバニア辺りまではジェロニモが居たが茨城まで来たらアパッチの名残りは無い。

普段、仲良くする為に相手の観察を怠らない現場は、それがアウトブレークのような特異な形を取らない限り常に類似した経過、結果をファイルしている。それがプロの目でもある。人間も野生の猪さえもインフルエンザは常在化している。況んや身近かな鶏に於いておやである。国も清浄国の手前、敢えてほじくらなかっただけである。その証拠に1997年の全国調査を国はどうもファイルしてないようだ。ただ前述のように我々現場には既にその多くのウイルスと仲良くしているとの認識があった。だから館沢さんの基礎免疫の考えにあるように、我が家もそれと形は変えても同一ワクチンの頻繁噴霧で競合排除を心掛けて一定顧客への定量安定生産を30年も続られたのである。

さて本論であるが、茨城問題の発端がアウトブレークでないことだけは、その現場の獣医さん達とも意見が一致していた筈だ。ならば何故問題になり殺処分に発展したのかが実は最大の疑問である。繰り返すように清浄国論を奉じLPAIの存在懸念をガセネタとして一顧だにしなかったそれまでの農水の態度とも違う。最終的ゴーサインこそ出したが、普段発症を含めた3点セットを主張しウイルスと仲良くせよと説く喜田委員長率いる小委員会が予めイニシアティブを取った形跡もない。ただ、あれを殺し始めたらキリがなくなる。とても茨城一国の<お鳥つぶし>では済まないとの懸念は現場のプロなら一様に持って居た筈で、それがなければドシロウトである。

それに家畜の防疫問題では官、民の協力が何より大切で、現場の獣医達はむしろ国の清浄国論に協力してきたと思われる。清浄国論とは実はいみじくも《とき》様が看破されたように<見ざるもの清し>の政策であり危険でもない無毒のLPAIなどほじくりだしても国際的に困るだけで国を含め誰も得がないのである。その意味で現場の獣医が隠し事で捕まったのなら清浄国論も終わりであろう。

こう考えて来ると茨城県のやり方が一番疑問だ。次が業界団体だ。すべてを勘案し叡知を結集しよって来るべき結果をも見通す。これもまたプロの目である。

H 18 3 1. I,SHINOHARA.