鳥インフルエンザ問題の今後(132)



2月18日付け東京新聞の茨城のトリフル処理現場の写真と記事を見るだけで鶏飼いとしての業の深さに仕事に嫌気がさす思いだが、一般の消費者も同じで卵や鳥肉が嫌になる人がいて当然という気がする。どう見てもこれは虐殺であり人災である。しかし一方で冷静に世界に目を転じれば、毎日のインターネット記事は時々刻々、強毒H5N1の拡がりを伝えて来る。矢張りその備えこそ何にも増して重要である。

ただ繰り返すように一昨年一旦侵入し発生を見たHPAIが何故姿を消したのか、皆が未だに訝って居る。まさか発生事後の処理が良かったからと喜田教授の当時のコメントを真に受けた者も居ない。諸説紛々とするなか、やはり諸外国と比べて生活の中に広く点在する農村型のバックヤードヘンが少ないこと。小規模養鶏に配られる鶏も大手育成場のものが多く、基礎的なワクチネーションによる競合排除が有る程度期待出来そうなこと。そして茨城の例に見るように案外普遍的にLPAIの浸潤が起きて居る可能性があり、日本の学会は認めないものの南中国のように全く違う亜型の間に細胞性の交差免疫が認められるなどと共に、従来云われて居たように鶏に馴染まないHPAIは初期の感染が起こり難く10の5乗程度のウイルス量を必要とするということかも知れない、などと推測されるそうだ(当場指導医の話)。

しかし例え野生のガンカモや白鳥に発生した場合でも、その地方の家禽類の殺処分により消費は壊滅的になるだろうし、日本だけ野鳥が無事だということは考えにくく、各国にこれだけ拡がれば何れはやられる覚悟は必要である。だから国が清浄国論、清浄化論を堅持すると云って居るうちは、トレサビリティの話もコレステロールの話も一切が上の空である。何れにしてもHPAIが燎原の火のごとく拡がったオランダ、間にNDの大発生を見たイタリア、更に昭和40年代初めの我が国のND大流行時に比べて、一昨年発生した79年振りという日本のHPAIは明らかに拡がり方が違った。

常識的に考えれば、その差は宿主側の要因である。関東で怪しげな症例が散見されるようになってからは特に育成場のワクチネーションの適否が需要側から問われるようになっていた。実際のHPAIは関東に比べてはるかに関心が低く問題意識の無いところで発生した様子もある。

国の方針と一見矛盾するが、日本の育成業者ほどワクチネーションに熱心な国もないそうである。民間の指導がそれだけ行き届いていたことが、その先達であった旧ハイデオの所先生の述懐でも分かる。それだけ当時の指導者が秀れて居たことになる。実際、浅田農産の場合でさえも、韓国の学者がHPAIのすさまじさはこんなものではないと指摘したと確かPPQCの加藤先生の話にあった。型の強弱は無論あろうが、一般的には強毒株ほど親和性は低そうで、元々の弱毒株ならもっと拡がりを見せる筈で、事実分析でも韓国流行株とほとんど同じだとされたからには宿主側の要因と見て間違いなさそうな気がする。

私達の経験でも当時のNDの拡がり方は凄まじかった。鶏の数は当時とは比較にならぬが逆に庭先養鶏は激減しているしワクチネーションは雲泥の差がある。この二年間の体験から、有る程度大丈夫かも知れないとかすかな希望もある。しかし口ばっかりの小委員会の超一流の面々を信用する気にはならない。繰り返すが所先生達の卓見があったればこそと思うのである。

さりとて油断は禁物、知らず知らずの内か突発か、何れにしてもやられることだけは覚悟している。

H 18 2 19. I,SHINOHARA.