鳥インフルエンザ問題の今後(131)



子豚がうまく育たない、採卵鶏の産卵ピークが出ないと云われるようになってかれこれ10年位になると思う。豚ではPRRSが、鶏ではIBが疑われたが確証は得られなかった。豚ではOOハムの未承認ワクチン問題も起きたが農水がうまく機能した。鶏のほうは1996年岩手、鹿児島でH3N2と見られるLPAIが発生し、かなりの被害が見られたと最近のHPなどでも一部紹介されている。それについては翌年、家衛試による調査の全国集計がなされ、予想通りLPAIの浸潤が裏付けられた。その後も変な症例は各地で現れたが多くはガセネタ扱いされるなか、それでも一部はILT,SHSなどと診断されたらしい。ただその成績は育成場のワクチンプログラムに大きく左右された為、その重要性が一部で認識されつつあった。

これに先立つ1983〜84年大槻教授によって渡り鳥 からH5N3のウイルスが検出され、それがペンシルバニアでのH5N2に類似したこと、またその25経代接種で強毒変異を遂げたことが同教授によって発表され、国内にも緊迫感が漂い始め、2002年の東京に於けるNBIの大シンポジュームでそれは頂点に達した観があった。

そして浅田農産事件の起きた一昨年、国は基本的考え方としては持って居たものの、業界に向けて栗本担当課長などが「国としては清浄国論を堅持する立場から」と、はっきり言葉としてAI清浄国論を打ち出した。それまでワクチン必要論を我々に説いて居た前記大槻教授なども皆御用学者に変身して撲滅論の旗持ちになった、と少なくとも業界の一部の人は感じて居る。

もともと清浄国論、或いは撲滅を期する清浄化論は机上の空論である。牛、豚、鶏のどの現場でもワクチン抜きの安全飼育は有り得ない。人間とて同様であって、これを汚染と捕らえる政策がそもそもおかしいのである。特に検出技術が進歩して、同じウイルスでも色々な型が認められるようになると、交差免疫が期待出来る安全な生ワクチンは不可欠な存在となる。更に全てのウイルス細菌に適合するワクチンを用意することは出来ないから、実際手に入るもの同士の競合、干渉を逆に利用することも現場の大切な知恵である。無論反作用を利用するからには、場合によっては症状が重篤化するなど更なる反作用もあり、現場は永遠に研究の場でもある訳である。何れにしても生き物を扱う上で一筋縄で解決出来るようなものなど有り得ないことだ。

それにしてもAIがはっきりHPAIとして姿を現し、前年のオランダの惨状などを紹介されていた我々現場は流石に色を失い私なども入雛を中止し廃業を決意した。浅田事件などで従業員への安全配慮に手抜かりがあったと非難されたからである。その時点で担当医にタミフルも用意して貰った。今となっては《とき》様の云われる人畜混同のそしりは免れないが、兎に角経営側としては万に一つも従業員への間違いは許されないのだ。

その後も実際にはHPAIらしき再発の噂があったのは事実であるが幸い噂だけで済んだ。そして今回の茨城問題である。現象としてのそれが決して新しいものでないことはどの現場でも案外皆承知している。韓国の話を聞いても何処の国の話でも、きちんと抗原を合わせて調べればLPAIだらけだろうという研究者もいる。そのくらいインフルエンザウイルスは普遍的な存在だというのだ。そんなもの相手に清浄国論の旗を振り回す位馬鹿馬鹿しいことはない。それで既に600万羽も犠牲になった。これ以上人為的に検査網を拡げないことが検査する側の良識で、それが働いた結果ウイルスは規制の枠を飛び出さなかったのだとする穿った見方がある。更には「茨城県はリベンジを狙って全国に茨城株による検査網を拡げるつもりだ。核拡散ではないが、茨城にウイルス株を分与するのはイランに核爆弾を持たせるようなものだ」と一時の中央団体との軋轢の事実からか、こんなけしからぬブラックジョークが囁かれて居ることも茨城県はご存じだろうか。

H 18 2 19. I,SHINOHARA.