鳥インフルエンザ問題の今後(130)



アメリカのAFI選出、映画のヒーロー100選の第一位という紹介で、改めてグレゴリー・ペック扮する弁護士アディカス・フィンチが主人公の《アラバマ物語》を観る。1962年ユニバーサル映画製作の社会派映画と聞いていたが、中身は1932年アラバマ州メイコムでの黒人青年トムのレイプ疑惑事件を設定(ハーパー・リー原作、TO KILL A MOCKINGBIRD)してのフィンチの6歳の娘スカウトらの目を通して見た父親像というホームドラマでもある。

時代も国柄も違うが2歳で母親を亡くした少女に対する黒人家政婦のビシッとした態度、またそれに全幅の信頼を寄せて子供達を育てる父親としての在り方、何よりもイケナイものはイケナイとする良識でもって子供に接する強い父親が、同時に学校へ行くようになっても約束をキチンと守れば寝る前の本読みは続けると自分も約束する。トムの法廷の傍聴席に潜り込んだ子供達に、弁護に敗れて最後に退席するフィンチ、敗れても全力を尽くした彼を、立って畏敬の念を持って見送りなさいと促す老人。社会人としての父親の苦悩を共有する幼い子供達、母親がいなくてもこんな立派な家庭と親子関係が築けるのかとドラマであっても感心してしまう。

そして最後にナイフを手にした暴漢から子供達を助けた引きこもりの青年ブーを、苦手な世間に引き出す事を避けて引き合いに出すまいと決める保安官と、青年に感謝しながら同意するフィンチ。この大人の判断が全く許されず、全て悪い方へねじ曲げられる日本の報道の在り方を見てほんとに考えさせられた。フィンチほど立派でなくとも、普段の目で見て感心させられる人は大勢居るし、悪者扱いの養鶏業者の中でも例外ではない。今回の茨城AI事件では、そんな人達ほど悪者扱いされてしまった。良い意味で大人の考えが出来る人達は壊滅した観がある。

私自身、当初の時点でED症状位での拙速な殺処分には反対した。少なくとも1996年の岩手の事例以来、これに似た症例は頻発していたのは周知の事実と云える。その為、特に育成中の基礎的ワクチネーションの重要性を喧伝した。そしてそれさえキチンとやれば、大事に至ることも全くなかった。折しも耳にしたのは韓国の事例である。LPAIの浸潤は手がつかないとの裏情報もあった。これは後に金教授の情報として大槻教授自身が業界雑誌上で認めて居る。これを殺し出したら茨城県はおろか日本中の鶏は居なくなる。その思いから、このホームページで緊急提言したのである。「殺し出したらとんでもないことになるぞ」と。それに賛成して頂いたのは業界以外では《とき》様だけである。

プロであるからにはA養鶏のB獣医師も相談を受けたと報じられたC技師も、我々鶏飼い風情よりもっと高度な判断があったとして当然である。映画でのフィンチと保安官の会話であり、私なら普段の行いからその叡知を信用する。残念ながら超一流学者の集まりである小委員会の面々からはこの<叡知>のかけらも感じられない。感じられるのは<幼稚>の一言である。

明治の維新は、あえて火中の栗を拾った長州藩、個人としての坂本龍馬、そして土佐藩、それに強大な軍事力の島津が呼応して成し遂げられた。わが養鶏業界の刷新も、おとしめられた彼ら有能な人達の復権、名誉回復を置いて有り得ない。そろそろ本音を語ってもらいたい。

H 18 2 18. I,SHINOHARA.