茨城県のAI監視残存鶏の処理方法も確定した。実際の処理が終われば一件落着であるとして業界もその促進に挙げて歓迎の意向らしい。しかし一鶏飼いとしてはどうも釈然としない。まだまだこれから数カ月の現地での作業の困難さ、苦悩を考えれば、流石に未練たらしいとは誰も思うまい。 平成11年の家衛試の鳥インフルエンザの診断法の検討やら、その後の色々な資料に目を通したり研究者の意見を聞いたりした範囲では、その診断法を含めて鳥インフルエンザに関しては分からぬことだらけである。とても確立した技術があるとは思えない。そんな時、たまたま見つかった全く無毒の茨城株を、実際はありもしなかった強毒変異の恐れだけで殺し、現にまだ250万羽という我々小羽数養鶏現場から見ると気が遠くなるほどの未処理鶏を、業者が受け入れない(受け入れられなくしたのは学者達である)のを口実に産業廃棄物として無為に殺す行為を、茨城県知事の記者会見ではないが超一流の研究者の集まりである小委員会の意向に沿うというだけで無定見に受け入れる鶏飼いとしての業の深さに慄然とさせられるのである。 自然界に恐らくは無数に存在するであろう未知のインフルエンザウイルスを発症も無しに、摘発することなど出来る筈もない。参照抗血清を得ること自体不可能に近いそうである。現に今回のH5N2にしても大槻教授によれば、用意した抗原とまるで違って備蓄のワクチンも効かない(そんなことはあるまいが)とするほどだと云う。確かに1918年のスペイン風邪を取り上げて鶏に無害なウイルスでも公衆衛生上は危険だとする話はある。しかしそれを言い出して家禽を殺し出したら、世界中に鶏など居なくなってしまう。H5,H7を高病原性とするのは、あくまで家禽に対してであって変異もまたその範囲での話であり人への変異の懸念まで云うなら他の型とて同様である。そして現実の話として茨城株は過去7カ月間、強毒変異はしなかった。にも係わらず残りの250万羽も含め、見つかった陽性鶏群は全て淘汰された。 だが実際に、これで何のけじめがついたと云うのだろう。見つかった範囲の茨城株陽性鶏群はいなくなった。しかし環境中には茨城株を含め、同じような無毒の未知ウイルスは沢山居るに違いない。それがたまたま見つかるとまた大虐殺になりかねない。茨城県は云うに及ばず、世界的に見ても今回の処置を、本当に流石日本だと評価した国は少ない筈だ。それどころか貿易相手国の評価は散々であり悉く汚染国扱い、それにもまして不道徳業界扱いである。それらの意味合いでは、今回の処置は、我が国の先進性、潔癖性をうたうどころか逆の効果ばかりだったと言える。 無論この問題がワクチンだけで片が付くなどとは思っていない。しかし残り250万羽の処理を急ぐことで事が解決するというのが業界の一致した意向であるとするなら、余りにも人為的でウイルスの本質をわきまえない人間本位の考えに片寄り過ぎているとしか思えない。その底流に、この茨城株問題はもともと人為的なものだとする植え付けられた情報に業界が汚染されたまま動かされて居ることがあるのではないかと憂慮もするのである。そして実際に、人為的だと決めつけられたまま無害な鶏達はこれまた人為的に殺され続けた。その感染源が人為的でないと証明されれば、後の虐殺はなかったのだろうか、それでも殺し続けたのだろうか、とまで疑ってしまう。 無毒の茨城株に限れば、また人為的に追求しない限り、今後自分から姿を現すことはないだろうし追求してもなんら得る所はない筈だ。(でもこの国のすることはどうも分からない。)しかしだからといって茨城250万羽の処理が終われば安全宣言で一件落着とは、余りに恣意的であるとしか云いようがない。 H 18 2 13. I,SHINOHARA. |